親子のつながりをつくる脳 vol.5

親子関係の脳科学は役に立つのか

親子関係において脳の中で起きていることを探究し、そのメカニズムを明らかにすることは重要です。ですがその知見は単に科学的な興味を満足させるだけではなく、何らかの形で現実に起きる親子関係の問題に役立つものであってほしい、そうありたいと、私は思っています。先に出てきた、赤ちゃんの輸送反応を知ることは、泣いている赤ちゃんをなだめたり、寝かしつけたりすることに役立ちますが、これには行動を調べれば十分なので、脳内メカニズムの知識が役立っているわけではありません。では、親子関係の脳科学はどのように現実の人間社会に役立つ可能性があるでしょうか? たとえば、子ども虐待などに応用できる可能性はあるでしょうか。

虐待とまではいかなくても、子育てに難しさを抱える親や保護者の方々は多いですが、実際には、子どもとの関係以外に悩みを抱えている場合がほとんどです。とくに多いのが、自分自身が親に十分養育してもらえなかった、あるいは虐待を受けた、という幼少期のつらい経験が背景にある場合です。

こういった体験が子どもの心理的な発達に影響を及ぼし、それが長じて自らの子育てを行う上で妨げになりうることは、統計的・心理学的な研究はされてきましたが、脳科学的には未知のままです。つまり、つらい過去の経験が、将来の問題行動や心の問題のリスクを高めること自体は分かっていても、その真ん中にある「脳」がブラックボックスだと、どうしてそうなるのか、またその影響の程度が人によって違うのはなぜなのか、分からないのです。

人間の心の働きのなかで、自分自身が意識できる部分はかなり小さく、大部分が「無意識」に働いているということ、そしてその無意識の働きに、小さい頃の親に対する愛着が関係しているということをジークムント・フロイトが初めて示唆しました。そして、それが確かだろうということは、その後多くの研究者によって検証されました。

心の働きとは、何か超自然的な存在を仮定するのでなければ、そのほとんどがすなわち脳の働きです。何かが記憶されたり、学習されたりすることも、すべて脳の中に物質的なこと、たとえば脳内の特定の場所にある分子が増えてくることや、神経細胞と神経細胞の間のつながり(シナプス)ができたり消えたりすることなどの現れのはずです。ですから、小さい頃の親との経験も、オスマウスがメスマウスと一緒に暮らした経験と同じように、物質的に脳の中に残り、それによってその後の脳の働きを変えていくことになります。

フロイトたちも、親子関係に関する問題について、具体的・物質的に脳の中で何が起きているのか知りたかっただろうと思います。しかし技術的に、手が出る時代ではありませんでした。たとえば神経解剖学はありましたが、まだ未発達でしたし、脳の小さい部分の働きを外から観察したり、定量したりすることはできませんでした。

今は動物を用いればそれが可能です。まずは動物実験で、つらい乳幼児期の体験が、脳のどこに、どのような影響を及ぼし、それが成長後のさまざまな心の問題のきっかけになるのか、明らかにする必要があります。それができて初めて、なぜ小さい頃に大切にされていないと、大きくなっていろいろな問題が引き起こされるのかが、はっきり分かってくるでしょう。

ほかにもたとえば、ドメスティック・バイオレンス、貧困、家族や自身の病気なども、子どもをかわいいと思う気持ちを混乱させたり、また、気持ちはあっても実際にかわいがる行動を難しくさせてしまったりする場合があります。こうした問題を明らかにし、解決を支援する上で、脳科学が役に立てば素晴らしいと思っています。

脳と心を操作する技術

「すでにマウスでは、光ファイバーを脳に埋め込んで、子どもに対する攻撃行動を抑制することが可能なのだから、その技術を子どもに虐待をしてしまう人間の親に応用するのはどうだろう?」と聞かれたことがあります。これは、技術を使って、「心」をコントロールすることと言えるでしょう。最後に、この問題について考えてみたいと思います。

まず、脳を直接操作することによって人間の行動を変えようとした過去の例として、1930~1940年代に行われた前頭葉白質切裁術(ぜんとうようはくしつせっさいじゅつ:いわゆる「ロボトミー」)があります。重篤なうつ病などの精神疾患に対して行われた方法で、うつ病などに関係していると思われた前頭葉白質を他の脳部位と切り離す手術です。

当初は治療法として大きく期待され、この方法を開発したモニスがノーベル賞を受賞したほどでした。しかし、対象が制限なく広げられ、犯罪者等にまで応用されてしまったこと、十分な安全対策なく行われたために事故で亡くなった方もいたこと、適切なインフォームドコンセントなしに行われたこと、意欲の低下や人格の変化といった副作用があることが分かってきたこと、などの問題点に加え、薬物療法が進歩したことから、その後、行われなくなりました。

しかし、脳を直接操作する治療法がなくなったわけではありません。たとえば、「パーキンソン病」という、体の動きがぎこちなくなったり手が震えてしまったりする病気があります。これは脳の中でドーパミンという、運動の制御に大切な物質の働きが不足することが原因で起こります。

そこで、脳の深いところにある視床下核などに電極を埋め込んで、高頻度電気刺激を与えることでその部位の機能を抑制し、脳内のドーパミンの作用を高める治療(脳深部刺激療法 Deep brain stimulation)があります。これはすでに日本でも2000年から保険適用となっており、多くの患者さんに行われています。また、事故などで脊髄が損傷したため手足が動かなくなってしまった人に、直接脳の活動を読んで手足を動かす信号を取り出し、機械を使って手足を動かす技術(ブレインマシンインターフェース)も開発されています。

つまり、人間の脳から直接情報を読み出したり、外から活動を操作したりすることは、技術的に可能なばかりではなく、すでに行われていることなのです。

しかし、それを子育ての問題、たとえば虐待をしてしまう親に応用してもよいのでしょうか? とてもそうは思えない、とんでもない、というのが一般的な感覚だと思います。パーキンソン病と子ども虐待の間の、この違いはどこにあるのでしょう。

わたし自身と脳

すでに1963年にコンラート・ローレンツというノーベル賞学者が、その名著『攻撃』の中でこの問題について述べています。

「今日わたしたちは自分の消化管の機能を知りつくしているばかりでなく、この知識をもとにした医学、ことに腸外科学のおかげで、年々幾千人もの生命が救われているが、それというのも、要するにわたしたちがだれひとりとして、この器官の働きに特別の畏敬や尊敬を払っていないという事情が幸いしているからだ」

「ところが人類は、かれらの社会構造の病理学的解決には無力であり、原子力兵器を手中にしながら社会のこととなると、まるでそこらの動物となんら変わらず、理にかなう行動ができないということは、大部分、みずからの行動を高慢にも過大評価し、その結果、人間の行動の問題を研究可能とみられる自然現象から除外しているせいなのだ」

――つまり、体の働きと異なり、愛情や憎しみ、社会性といった自分の心の働きに人間は誇りを抱くあまり、科学的に調べ、それを白日の下にさらすことに強い抵抗感を感じるのだろう、というのです。

「自分自身とは何か?」あるいはもっと具体的に、「自分にとってほんとうに大切な『自分の部分』、そこを変えたら自分ではなくなってしまうくらい、自分という存在の中心にあるものとは何ですか?」と問われたとき、多くの人にとって、体やその働きは、そこまで大事ではないと思うのです(スーパーモデルやトップアスリートは違うかもしれませんが)。例えば足を怪我して義足になったり、心臓や肝臓や腎臓の病気になって他の人の臓器を移植したりしても、自分が自分でなくなった、とはあまり感じないのではないでしょうか。

では、脳はどうでしょう。脳も臓器の一つですが、特別な存在です。というのは、人体の中で主観的な「私」にもっとも近い臓器が脳だからです。現実には不可能ですが、仮に自分の脳をまるまる他の人の脳と入れ替えたら、その人はもはや自分ではなく、脳の持ち主になってしまうはずです。というのは、生まれた時からのいろいろな記憶や経験、ものの感じ方、性格、そして意識など、主観的な「私」のほとんどの部分はすなわち脳の働きであるからです。

しかし脳の働きのすべてが、「私」という存在自体に不可欠ではないでしょう。たとえば先に挙げたような、身体の動きを震えたりふらつかないようにコントロールするような脳の機能は、人工的に操作しても、「自分の心が変わってしまった、自分という存在が操作された」とは感じません1。また、パズルや計算問題を解いたり、何かを記憶・学習したりといった道具的な知能はどうでしょう。もし将来、脳を操作して、ほかの部分はまったく変えずに学力だけを飛躍的に伸ばすことができるようになったら、やってみたいと思う人もいるかもしれません(図9)。

図9 脳が外からコントロールすることで、学力をアップが可能になったら……?
図9 脳が外からコントロールすることで、学力をアップが可能になったら……?

アイデンティティの根幹であり、変えられたくないと感じる心の部分には、やはり愛憎をはじめとする感情的な面があるのではないかと私は思います。

たとえば、大事な人を失って悲しみのあまり、ごはんも喉を通らない、眠れないほどの状態のとき、「この治療を受ければ悲しい気持ちがなくなりますよ」と言われたら、私たちはその治療を受けるでしょうか。もちろん、悲しみの持続やその強さにもよるでしょうが、何となく抵抗を感じてしまいますね。もし悲しさがなくなってしまったら、その人に対する愛自体も減ってしまうような気がするからかもしれません。

また、ささいなことでかっとなって暴力を振るってしまう人が、「こんな自分を変えたい。もっと他人に優しくできる人間になりたい」と思っていたとしても、「脳にチップを埋め込めば、他人に怒りの感情が湧いて意地悪や暴力をしそうになったら、強制的にそのような感情が消えて、優しくできるようになれますよ」と言われたらどうでしょうか。

『時計じかけのオレンジ』という1962年の近未来小説(1971年に映画化)には、人間の暴力的な行動を、政府が科学的な方法で強制的に消去する実験的な試みが描かれています。強盗や強姦を繰り返し刑務所に収容されていた非行少年アレックスは、「ルドヴィコ療法」と本の中で名付けられた新しい治療法の被験者となります。この治療法とは、一言で言えば、『つながる脳科学』の6章「脳と感情をつなげる神経回路」に出てくる「嫌悪条件づけ学習」であり、吐き気を引き起こす薬物を投与しながら残虐な暴力や性行為の映像を見せ続けることによって、暴力行為をしようとすると嫌悪感に捉えられてできなくなってしまう、という状態を作り出そうとするものです。治療が成功して暴力を働くことができなくなったアレックスを見て、アレックスと親しかった刑務所の教誨師は言います:

「神は、善良であることを望んでおられるのか、それとも善良であることの選択を望んでおられるのか?」

つまりアレックスは自らの意思で悪事をやめたのではなく、強制的に悪事をできない状態にさせられたのです。社会秩序維持のためには、国家が本人の意思に反して悪事ができない状態に個人の脳を作り変えてもよいのだろうか、ということを言っているのでしょう。

ただ実際には、この小説の“治療”とされる単純な「嫌悪条件づけ学習」は、刑務所から出たら次第に消去され、効果がなくなってしまうはずです。しかし、この本で述べてきたような最新の手法で脳を直接操作すれば、暴力行為ができないよう、永続的な「治療」を行うことも不可能ではありません。次の章では、この問題に関する倫理的な側面についても考えてみたいと思います。


1. パーキンソン病治療の作用は運動系だけではなく、ドーパミンが関わる精神面にも及ぶため、厳密に言えばもっと複雑です。


著者:黒田公美 親和性社会行動研究チーム チームリーダー

出典:講談社ブルーバックス



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