親子のつながりをつくる脳 vol.6

脳と社会をつなげる

脳科学を使ってそのような人間性の根幹に関わる感情まで見たり操作したりすることが、今や技術的には射程距離に入ってきています。本能的な、すなわち哺乳類全体に保存された行動や感情を司る脳部位は、マウスからサル、人間に至る進化の過程で、より高次な認知や知能を司る大脳皮質と比べれば、それほど大きな変化はありません。マウスで可能なことは、原理的には、人間にも適用できる可能性があるのです。

ではいっそ、そのような科学はやめてしまったほうがよいのではないか? これ以上、心について深く知ってしまうと、自分の大事な感情をのぞき見られたり、勝手に操作されたりといった悪用の可能性が出てくるから、研究自体をすべて禁止したほうがよいのではないか? そういった議論も、じつはかなり昔からありました。

しかし先のコンラート・ローレンツは、人間がもっとも神聖なものであるかのように思っている社会性や共感などの心の働きを自然科学の題材とせず、ブラックボックスのままにしておこうとする傾向こそが、現に人間が示す社会行動の病理、すなわちいじめ、子ども虐待、テロリズム、そして戦争などを効果的に防ぐことができない原因なのではないか、という警告を発しています。人間が環境汚染や核兵器によって自らを滅ぼしてしまう瀬戸際に立たされているのは、科学や工業を発達させたからではなく、その果実を正しく利用するために必要な社会性が哺乳動物のままに留まっていることに、自分で気づいていないからではないのか、というのです。私も基本的に同意見です。

詳しく動物行動を調べてみると、たとえばオオカミやゴリラなどの高度な社会性を持つ動物の群れの中には、高い道徳性があります。その中には、たとえば順位に応じて挨拶をする、メスや子どもなど弱い立場の個体を攻撃してはいけないというルール・規範があり、メンバーはそれを守って群れの中で平和に暮らしています。しかし、群れのメンバー以外には、この規範が適用されないことが多いのです。

第二次世界大戦に医師として従軍し、ロシアの捕虜収容所に抑留されるという経験を経たローレンツは、異なる国や宗教の間の対立が、まさにこのような人間の動物としての社会性のあり方から説明できるのではないかと考えました。であるならば、動物の社会性が脳の中でどのように実現しているのか、突き止める必要があります。そうすることで、社会性がうまく機能しない場合はどの部位に問題があるのか、あるいは人権や法が現代人に求めるように、動物における規範を超えて社会性を機能させようとするならば何が必要なのかを、初めて明らかにできると考えられるからです。

それでは、どうすればよいのでしょうか?脳、そしてその働きである人間の心や行動を外部から操作する技術が実現すれば、誰かが、あるいはどこかの国がそれを人間に応用するかもしれません。もちろん人間をサイボーグのように操って悪事をさせるような行為を禁止することには異論はないでしょう。しかし、一見合理的な目的の場合はどうなのでしょう。病気や事故で損なわれた感覚・運動機能を回復させるような脳への操作はすでに可能です。記憶力や集中力を向上させるような脳機能の操作は、もし可能であったとしても禁止すべきでしょうか。さらには、犯罪に至るような怒りや性欲を押さえるための脳への操作はどうでしょう。度重なる性犯罪を犯してしまう人すべてではありませんが、一部には「性的強迫症」といって、本人も困っているのに強い性的欲求が抑えられず、窃視や痴漢行為を繰り返してしまう人もいるのです。このような場合、脳への直接操作ではありませんが、本人が同意すれば手術により物理的に精巣除去(去勢)を行ったり、あるいはホルモン投与による化学的去勢が合法である国も現在でも複数あります。

また、前頭葉をはじめ衝動性を制御する脳領域の機能が認知症や外傷など様々な理由で低下することによって、万引きや暴力行為などのリスクが高まる場合があることも、かなり証拠が蓄積してきました。ある性犯罪者が逮捕されてから、前頭葉に脳腫瘍があることがわかり、手術で腫瘍を除去すると性衝動がなくなった、という報告もあります。したがって、これまで自由意志と考えられてきた人間の行動や性格も、脳という物質的な実体の機能障害によって大きく影響を受けることは、今日では疑いようのない事実となってきました。

つきつめていうと、意図的に他者に害を与えるような罪を犯す人は「悪人」なのか、それとも社会性を制御する脳領域に障害を抱える「病人」なのでしょうか。もし後者だとしたら、それを人体や脳への直接操作によって治療してよいのでしょうか?このような議論は、海外では「神経犯罪学」や「神経倫理学」と呼ばれる分野として盛んになってきていますが、日本ではまだ十分な議論が行われているとは言えません。

この問題について本章ではこれ以上述べませんが、脳の操作によって、人間の行動や感情を変えてよいのか、よいとするのならどのような条件がある場合なのか、脳科学と一般社会の対話によって議論していくべき時代が来ていると、このような研究を進めてきた私自身が思っています。

新しい科学技術は時に、それまでは予想もしなかったような新たな倫理的問題をもたらすことがあります。ES細胞やiPS細胞による再生医療技術はその好例です。そこで新しい技術が生まれるごとに、実用化の前に人間の生活や社会に与える影響について慎重に検討し、多くの人のコンセンサスを得てから規制や法改正などの方法でそれを社会に反映させる必要がありますが、それには年単位の時間がかかります。他方で技術の進歩は急速で、法律や制度の変更が間に合わないうちに技術が普及してしまう場合もあります。例えば高度生殖医療の発展は、不妊に悩む人に計り知れない恩恵をもたらした一方で、遺伝子型による生命の選別も技術的に可能にしました。さらに海外での代理懐胎ビジネスなど生殖医療の商業化、卵子や精子の提供を受けて生まれた子どもが自分の出自を知る権利をどう保証するかなど、それまでには考えてもみなかったような生命倫理上の難題が次々と出現しました。そして、それらが解決するより前にこの技術によって生まれた子ども達の親子関係に関する立場が不安定な状態になってしまう問題が生じました。

脳と行動の関係については、その轍を踏まないよう、早いうちから議論を開始したほうがよいと思っています。科学の進歩によって、私たちの心と行動を作る脳のメカニズムが明らかになることはとてもエキサイティングなことで、様々な新しい応用の可能性も生まれてきます。だからこそ、脳科学の発展を社会にとって有意義なものとして生かしていくためには、社会の中の多様な立場の人々の対話が必要です。今こそ、脳科学と社会との密接なつながりと、広い視野が必要になってきているのです。

著者:黒田公美 親和性社会行動研究チーム チームリーダー

出典:講談社ブルーバックス



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