親子のつながりをつくる脳 vol.4

赤ちゃんがおとなしくなるのには理由がある

では、なぜマウスと人間に共通して、赤ちゃんは運ばれるときにおとなしくなるのでしょうか? この輸送反応という現象の役割を知るために、ピリドキシンの過剰投与で運ばれていることが分からない状態になった子マウスを、母親マウスに運んでもらう実験をしました。すると、おとなしく運ばせてくれない子マウスは、普通のおとなしくしている子マウスに比べて、母親が運ぶのに時間がかかってしまいました。

このことから、子が運ばれるときにおとなしくするのは、運んでくれる親に対する「協力」と考えられます。多くの哺乳類で親が子どもを運ぶのは、何か特殊な事情があるときです。たとえば、巣の近くにゾウの群れが迫ってくると、ライオンの母親は、1匹ずつ子をくわえて何キロメートルも歩き、別の場所に引っ越しをします。このような緊急事態で、親も急いでいるときに子どもがおとなしくしてくれないと、その子は置きざりにされてしまうかもしれません。

したがって輸送反応は、親の子育てに対する協力行動だと考えられるのです。輸送反応自体の存在は経験的に分かっていたとしても、その機能は、このような実験をしなければ証明できません。一時的にでも体の感覚を阻害するような実験は、人間の赤ちゃんではできないので、マウスで人間と共通する現象を明らかにして初めて、実験可能になるのです。

マーモセットで子育てを調べる

ちなみに最近、新しい霊長類モデルとして、先ほど出てきたマーモセットという中南米原産の小さなサルが注目されています(図8)。マウスやラットなどの齧歯類は、恐竜が絶滅した6500万年前頃、霊長類と分かれたと考えられており、カバやクジラなどと比べれば霊長類に近いのですが、それでも大きな違いがあり、マウスやラットを使って明らかになったことを人間に応用するには、相当の飛躍があります。そこで、霊長類のモデル動物が求められているのです。

図8 マーモセットの家族
野生では主に樹上で暮らしており、父親や年上の兄弟も子育てに積極的に参加する。
右が母親、左で子(矢印)を抱いているのが父親。(撮影:齋藤慈子)

その中でマーモセットには、さまざまなメリットがあります。まず、体が小さいことや、順調にいけば5ヵ月に一度、2匹ずつ子を出産する多産な性質から、飼育や実験には都合がよいこと。そして、マーモセットの大脳皮質にはほとんどしわがなく、表面がつるんとしているので、脳の研究にも有利です。通常の哺乳類の脳のしわにはかなり個体差があり、脳の区分を決める上で大きな障害になるからです。

そして、マーモセットは基本的に一夫一妻(野生では時に一夫二妻や二夫二妻)で強い家族の絆を築き、共同で育児も行うので、社会行動の研究に非常に適しています。密接な家族関係を持つため音声コミュニケーションも発達していて、マーモセットは、人間の耳にもはっきり分かる10種類以上のコールを鳴き分けます。また、独りぼっちにさせられると誰かが来てくれるまでずっと鳴いているところなど、人間の赤ちゃんの泣き声に機能的に似ているところがあるのです。今、こうした手がかりを用いて、マーモセットの愛着行動について調べているところです。

「本能」への誤解

最初にもお話ししたように、哺乳類は未熟な状態で生まれるので、必ず親の子育てが必要になります。そのため子育ては本能行動と呼ばれることがありますが、本能という言葉は「まったく学習しなくてもはじめからできる行動」というように誤解されて受けとられることが多いので、ここで少し説明しておきたいと思います。

もし赤ちゃんが道端にいて泣いているとすれば、普通の人は周りに親がいないか探すものです。いなければ、抱き上げて保護しようと思うか、少なくとも誰かに伝えようと思うでしょう。

気にもかけずに通り過ぎて、その後も何も感じない人はほぼいないと思います。そうした気持ちは、教えられなくともほとんどの人が持っているものですよね。直接の利益はないけれど、それ自体にやりがいがある、やらずにはいられないからするのです。この意味で、子どもの世話・子育ては、基本的に「本能的欲求」の一種です。そうでなければ、子育てを必要とする哺乳類は生き残ってこられなかったでしょう。

しかし、「したいと思う」ことは本能ですが、実際の行動がうまくできるかは別問題です。本能行動にも学習は必要なのです。

私はよく、「1回目のセックスから上手にできた人はいますか?」と話します。母性についても、「母性は本能だから、上手に育てて当然」といわれることもあるのですが、これは母性神話という誤解です。

たしかに子育ては哺乳類にとって種の存続に関わる重要な行動ですから、子育てをしたいと思う意欲を司る脳内回路が、哺乳類の進化の中で保存されていることは間違いありません。しかし、初回から複雑な行為を思った通りにできるものではないのです。赤ちゃんがごはんを食べたり水を飲んだりするときも、最初は、こぼしてばかりで上手にできません。食欲が本能的であるにもかかわらず、です。

したがって、欲求が本能的であっても、上手に行うためには練習や経験が必要なのです。子育ては、あらゆる本能行動の中でも一番高度で難しいものであり、多くの経験が必要になります。はじめに上手くできなかったとしても、不思議ではありません。野生動物でも、初産では、世話がうまくできないため子どもの死亡率も高いですし、養育放棄(ネグレクト)もよく起こります。しかし2産目には同じ母親が上手に子育てすることがほとんどです。

著者:黒田公美 親和性社会行動研究チーム チームリーダー

出典:講談社ブルーバックス



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