親子のつながりをつくる脳 vol.1

誰にでも子どもだった時期があり、誰かに育てられて成長します。そして大人になれば、子どもを育てるという経験をする人も多いでしょう。その意味で、親子関係は誰にとっても身近な話題です。

私たち人間をはじめ、哺乳類の赤ちゃんは未熟な状態で生まれるので、親が子育てをしなければ成長できません。親は授乳するだけでなく、保温をする、体を清潔にしてあげる、危険から守るなど、子に対してさまざまな世話をします。一方、子どもは、世話をしてくれる親を慕い、後を追い、姿が見えなくなれば泣いて呼ぶなど、親子関係を維持するために積極的に働きかけます。これらを「愛着行動」と呼びます。

そもそも、こうした「親と子のつながり」とは何でしょうか?

私は、脳の研究からそのメカニズムを解明したいと思っています。子育てと愛着は本能的欲求にもとづく行動ではありますが、とても高度で難しいものです。それには、脳のどのような機能が関わっているのか、親と子のそれぞれの側から研究しています。

親と子の間にはつよい絆があって、はじめから愛情で結ばれているはず――そう考えている人も多いかもしれません。ですが、子育ては、経験もなしにはじめから上手にできるほど簡単なものではありません。親子双方の性格や心身の健康状態、経済状況など、さまざまな事情が重って、結果的に親子関係に困難をきたすことは普通にあります。育児放棄(ネグレクト)や虐待、家庭内暴力などのより大きな問題でさえ、現代の日本においてもまだしばしば起っているのが現状です。親子関係を脳から研究することで、そうした問題の解決にもつなげたいと考えています。

脳研究の過疎地に挑む

私は精神科の研修医時代に、いろいろな悩みや心の問題を抱えた人のうち、かなり多くの方々が、過去の親子関係に悩んでいることを知りました。そのときの経験から、親子関係を脳のレベルで解明したいと思い、基礎研究の道に進みました。

しかし、じつは親子関係の脳研究は、あまり盛んではありません。脳科学では、たとえば『つながる脳科学』2章「脳と時空間のつながり」に登場した空間記憶は非常に人気のある分野です。空間を動物がどう認知し、その中での自分の位置や運動状態を理解し、さらにそれをいかに記憶するかには、海馬などの脳部位を中心にした精緻なメカニズムがあり、多くの脳科学研究者が研究しています。視覚や嗅覚、運動制御なども人気の高い分野です。心の感情的な働きに関する研究の中では、6章「脳と感情をつなげる神経回路」で詳しく紹介された恐怖や不安などの不快な感情が、病気との関連が高いこともあって注目され、研究人口も多いのです。

一方で親子関係や愛情、友情のような心地よい感情は、一般の方にもなじみのあるテーマだと思うのですが、なぜか研究人口が少なく、過疎地のようなものです。親子関係の中では「親子を分離したときに、子どもの発達にどんな悪影響があるか」という研究は、第二次世界大戦前後の孤児院での研究から始まり、今でも人気のある分野ですが、親子関係を築くための親や子の行動がどのような脳内回路によって制御されているのか、研究している人は多くありません。子育てと子の親への愛着を司る脳神経回路の解明に特化して研究しているのは、私たちの研究室を含めて世界でもわずかしかないのが現状です。

子育てに影響する遺伝子はどこ?

1996年にアメリカの研究グループによって、世界で初めて「特異的に子育て行動ができないノックアウトマウス」が報告されました。ただしこれは、もともと子育てを解明するための研究ではありませんでした。別のテーマで研究をしていた人が、ある遺伝子に注目してノックアウトマウスを作ったら、結果的に子育てができなかったという経緯でした。子育てを研究したいと思っていた私は、彼らの結果に感銘を受け、そのテーマでポスドクとして働きたいという手紙を出しました。

しかし「私たちは子育てにとくに興味があるわけではなく、今後その研究を継続するつもりはない」という返事だったのです。そこで私は、このマウスをはじめ、いくつか報告されはじめた子育てのできないノックアウトマウスを譲り受けて集め、その共通点を探すことで、子育ての分子機構を解明しようと思い、独自に研究を始めました。

ですが実際に研究を始めてみると、遺伝子をノックアウトして特異的に子育てに影響を与えることは、とても難しいことでした。ほとんどは他の行動にも影響が出ていたり、感覚受容や健康状態に問題があったりし、その結果として子育てが困難になっていたのです。15年前から始めて、10種類以上の遺伝子変異マウスを調べましたが、残念ながら、遺伝子1個の変異によって、特異的に、かつ決定的に子育てができなくなるという知見を見出すことは今でもできていません。

おそらく、子育ては哺乳類にとって非常に大切であるため、たった一つの遺伝子に完全に頼ってしまうことはなく、リダンダンシー(冗長性)があるのだろう、と考えられました。

著者:黒田公美 親和性社会行動研究チーム チームリーダー

出典:講談社ブルーバックス



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