親子のつながりをつくる脳 vol.2
小さな脳部位が関わっていた!
ところが、少し視点を変えて遺伝子ではなく脳の場所(脳部位)に着目することにより、「子育てに特異的に必要な脳内の物質的基盤」を解明する糸口が見えてきました。
一つの小さい脳部位が、子育てに大きな影響を持っていたのです。それは「内側視索前野中央部(ないそくしさくぜんやちゅうおうぶ)cMPOA」という部位です。2012年に母親マウスで同定し、2015年には父親マウスでも子育てに必須であることを明らかにしました。
それまでに、「内側視索前野(MPOA)」という領域が子育てに大切だということは、ラットを用いた実験で解明されていました。内側視索前野は、視床下部の前方に位置する領域で、正確には視床下部ではありません。MPOAを破壊すると子育てに支障が出るということはわかっていましたが、その中でとくにどのようなニューロンが必要なのか、また、どのような他の脳部位から情報を受け取り、どこに情報を発信するのかなど、回路の全容は明らかになっていませんでした。
そこでマウスを使ってより詳しく調べていくと、MPOAという領域の中の後方の中央付近にある小さい部位が、マウスの子育て行動には必須であるということが分かってきました。
この脳部位の機能が抑制されると、子育て経験を積んだ母親マウスでさえ、自分の子を育てずに攻撃してしまうことが判明したのです。この脳部位を明確に示す名前はまだ脳地図上になかったので、「cMPOA」と名付けました(図1)。
脳地図とは、脳のどこにどんな脳部位があるかを網羅した、文字通り「脳の地図」です。脳科学の研究者にとっては必須の資料ですが、研究者が少ないために脳地図がまだ確立していない脳部位もあります。MPOAやその周辺もそうで、いろいろな分子の分布などを調べることによって、地図自体を自分で作りながら研究を進める必要があります。
ヒツジなど他の哺乳類の実験でも、MPOAが子育てに重要であると考えられています。今回、マウスの実験で、MPOAのなかでもとくにcMPOAという微小部位で、子育て行動がコントロールされていることが分かってきました。
MPOAやcMPOAは人間の脳ではまだ正確に同定はされていないのですが、現在は、マウスでcMPOAに特異的な分子を探索し、それを小型のサルであるマーモセットで検出することで、マウスでのcMPOAにあたる部分を霊長類で明らかにする研究を進めているところです。
メスとの経験によって「父性」が目覚めた
さらに、オスマウスでは「分界条床核菱形部(ぶんかいじょうしょうかくりょうけいぶ)BSTrh」という広義の扁桃体に属する脳部位(図1)が、赤ちゃんマウスに対する攻撃性に関係することも分かってきました。
「オスの子殺し」については、野生動物の生態や行動学の話を聞いたことのある方もいるかもしれません。ハーレムのように、1匹のオスのリーダーを頂点にした群れを構成する一夫多妻制の動物種で、リーダーが新しいオスに倒されて群れが乗っ取られると、前のリーダーの血を受け継ぐ子どもを新しいリーダーが皆殺しにし、それをきっかけに群れのメスが発情して交尾を始めるのです。
これは人間から見るとショッキングですが、オスが自らの遺伝子を効率よく複製するための、生物学的には適応的な行動です。
そして交尾の結果、新しいリーダー自身の子が生まれてくる頃になると、オスは子殺しをせず、むしろ子どもを守り育てるという、「父性の目覚め」が起こります。
これは、すでに50年以上前にハヌマンラングールというサルで見つかった現象です。ほかにも、ゾウアザラシ、ライオン、ヒヒやマウンテンゴリラにも同じ現象が観察されていますが、そのメカニズムは解明されていませんでした。
マウスにも同じ現象があることがわかっていましたので、私たちはマウスでこの「父性の目覚め」現象の解明を目指しました。
興味深いことに、交尾しメスと同居する経験を経たオスマウスは、自分の子だけではなく、よその子でも殺さずに子育てをします(図2)。オスのマウスには、自分が交尾して生まれた子と他人の子を確実に見分けることはできないので、安全のためすべての子を同じように扱うのでしょう。
よその子からくる匂い、見た目などの感覚入力は、交尾をする前の子殺しのときと交尾後の子育てをする時期でまったく同一なので、メスと交尾し同居したという社会的記憶がオスの脳を変え、子に対する行動を正反対に変化させると考えられました。つまり、社会的な文脈で子育てするか子殺しするかを瞬時に切り替えているのです。
「子育て」「子殺し」のとき脳内で起きていること
では、子育てと子殺しのどちらにするか、決断する脳部位はどこにあるのでしょうか?そして、メスとの経験はオスの脳のどの部位に蓄えられ、決断する脳部位に影響を与えているのでしょうか?
この問題を解くために、まず私たちは、子マウスを攻撃する未交尾のオスと、子育てをする父親オスを、それぞれ子マウスと同居させ、2時間後に脳を摘出し、どの脳部位の活性が高まっているかを調べました。
脳部位の活性は、遺伝子発現を調整するタンパク質である、c-Fosという転写因子の量で調べることができます。神経細胞が活発に機能して遺伝子発現も活発になるとき、転写因子c-Fosタンパク質の発現量が上昇するため、神経細胞の活性化の指標になるわけです。
結果、子マウスを攻撃する父親マウスでは、BSTrhという場所でc-Fosタンパク質が増加しました。一方、子を養育する父親マウスでは、MPOAの後方中央部(cMPOA)でc-Fosタンパク質が増加していたのです。
しかし、この実験では、脳部位の活性化と行動の間に相関関係があることは言えますが、因果関係までは分かりません。脳部位の活性化によって行動に至ったのか、あるいは行動の結果として脳部位が活性化したのかを区別できないのです。
そこで、今度は同居させる子マウスを金網で覆い、実際には攻撃や養育ができない状況で、同じ実験を行いました。金網ごしにオスマウスと子マウスを対面させたあとに、オスマウスの脳を調べたのです。
結果は、先ほどとほぼ同じでした。つまり、BSTrhやcMPOAの活性化は、子マウスに対して起こした行動の結果ではなく、行動を起こそうとする意欲や動機を反映していると考えられるのです(図3)。
さらに、cMPOAとBSTrhの活性化が子マウスへの攻撃や養育に必要かどうかを確かめる実験を行いました。交尾未経験のオスマウスのBSTrhの働きを薬剤注入によって阻害すると、子マウスを攻撃する頻度が減りました。これは、BSTrhの働きが子マウスへの攻撃を促進することを示しています。
一方で、父親マウスのcMPOAの働きを阻害すると、まったく養育しなくなっただけでなく、子マウスを攻撃するようになったのです。さらにcMPOAの働きを阻害したときは、BSTrhが活性化されていました。
つまり、cMPOAはBSTrhを抑制していると考えられたのです(図4)。
実験結果からは、養育行動に関わるcMPOAが活性化されると、子マウスへの攻撃に関わるBSTrhの働きが抑えられるような神経回路が形成されていることが推測できます。
実際に、BSTrhとcMPOAの結合様式を解析すると、GABA作動性の抑制性ニューロンが、cMPOAからBSTrhへ投射していることが分かりました。ちなみにGABA作動性の抑制性ニューロンとは、GABA(γ-アミノ酪酸)を神経伝達物質に持つ、投射先を抑制するニューロンのことです。
そこで次に、光遺伝学的手法を用いて、cMPOAの活性化が攻撃行動へ与える影響を確認しました。
光遺伝学(オプトジェネティクス)については、『つながる脳科学』第1章「記憶をつなげる脳」を参照してほしいのですが、簡単に説明すると、ウイルスベクターを利用して、光が当たると神経細胞を活性化するチャネルロドプシンというタンパク質をcMPOAの神経細胞にだけ作らせ、cMPOAを照らせるように光ファイバーを手術で埋め込みました。このことで、外から人工的にcMPOAの神経細胞を活性化させることができます。
そして、光をcMPOAに当てながら子マウスと同居させたときと、光を当てないで同居させたときで、行動を比較します。すると、予想通り子マウスに対する攻撃は光によって減少したのです。したがって、cMPOAが興奮するとBSTrhが抑制され、子殺しへの意欲が減って子育てが優位になる、という回路があると考えられました(図5)。
著者:黒田公美 親和性社会行動研究チーム チームリーダー
出典:講談社ブルーバックス
つながる脳科学(親子のつながりをつくる脳) もくじ
- 親子のつながりをつくる脳 vol.1
- 親子のつながりをつくる脳 vol.2
- 親子のつながりをつくる脳 vol.3
- 親子のつながりをつくる脳 vol.4
- 親子のつながりをつくる脳 vol.5
- 親子のつながりをつくる脳 vol.6