第六回 馬塚明佳 Baby, Baby All the Time♪-赤ちゃんと挑む 日本語研究の開拓者

第六回 馬塚れい子
Baby, Baby All the Time♪-赤ちゃんと挑む 日本語研究の開拓者 後編

メリットも多い、大人の言語学習


馬塚 竹内さんは小学校の3年生から5年生までニューヨークの現地校でしたよね。LとR、今でもきちんと聞き分けることはできますか?


竹内 自分で発音しているときは、当然違った発音はしているんですよ、舌の位置を変えて。聞き取りの場合には、特にRが単語の先頭にあるときは、大体、ウッというような音が先行するので、それでRであると判断できるんです。ただ単語のど真ん中にLかRが来て、どちらだったかと聞かれたらやっぱり分からないですね。


馬塚 私は人生の半分以上を英語圏で暮らしていますが、私も竹内さんと同じで発音は意識していればできるんです。舌をここに置けばいいっていうのも分かっている。でも知らない町の名前とかはじめて聞く人の名前、つまりどういうスペルなのか分からないような単語を聞いたときに「LとRがごちゃごちゃしているんだろうな」とは思うけれどもどちらなのか分からない場合がよくあります。


竹内 まさにそれですよね! はじめて聞いた言葉で先頭に来ないLとRの判別ってやっぱり分かりにくいですよね。


馬塚 そういうものです。子どもの場合で言うと、英語圏で例えば2年過ごして日本に帰国した場合、ものすごい勢いで日本語が入ってくるんですよね。1日24時間しかないなかで、近所のお友だちと仲良くなって遊ぶことなんかが、子どもにとっては絶対的に最優先じゃないですか。そうすると、英語なんか邪魔になってどんどん忘れてしまうわけです。覚えたLとRを聞き分ける力のメンテナンスもなかなかできないでしょう。


竹内 そうなると赤ちゃんへの外国語の早期教育ってあまり効果はないのでしょうか?


馬塚 全く無意味ではないですが、そこまで効果は期待できないですね。それに、ネイティブとして英語を使えるかどうかということと、将来社会に出て英語でちゃんと仕事ができるかどうかというのは全く別問題ですし。


竹内 百害あって一利なし、というわけでもないですよね?


馬塚 もちろんです。小さいときに学ぶと、やはり聞く力は良くなりますよね。それを失わないように上手にメンテナンスできればデメリットにはなりません。でもメリットを失わないようにするには毎日英語にどっぷり漬かる環境を維持しないといけない。そう考えると、外国語習得は子どもが小さければ小さいほど、実はめちゃくちゃ効率が悪いんです。


竹内 効率、悪いんですね。ある程度成長してから、または大人になってからの方が断然効率よく学べるんでしょうか?


馬塚 過去に実際に調査してみたことがあるんです。竹内さんがニューヨークで生活されていた頃は、結構たくさんの日本企業がアメリカに支社を持っていましたよね。ちょうどその頃に、日本から来た子どもたちを被験者に、渡米した年齢ごとに数年後の外国語としての英語の習得具合を調査しました。3歳から15歳くらいまでの間だと、滞在中に学びの効率はどんどん上がります。特に、幼稚園、小学校、中学校に行くようになると、子どもが自ら学びたいという姿勢になるので学び方自体が主体的な方法に変わってくる。赤ちゃんの場合は、主体性を持った学びではなく全く意識せず英語のなかにどっぷりと漬かって自然に獲得していくという、いわゆる人間の一般的な言語発達プロセスなんですが、時間のほぼ全てをそれに費やしているのでできちゃうというだけで、実は決して効率が良いわけではない。でも、もっと成長した子どもは、「どうやったらこの単語を覚えられるのか」とか「この気持ちを伝えたいけれど、どうやって単語をつなげば伝わるだろうか」などと一生懸命に考えて努力する。習得は後者の方がずっと効率が良いんです。



竹内 外国語習得を目指している大人にとってはすごく励みになる情報ですね。


努力して学んだ言語は覚えている


馬塚 言語でもピアノでも、何かを習得する際には、「1万時間の壁」と言われる越えるべき時間の目安があります。赤ちゃんが生まれた瞬間からずっと英語にさらされていた場合、寝ている時間を除くと1万時間は3年から4年ほどになります。例えば週に1日1時間、小学校などで英語の授業を週5回、つまり週5時間として1万時間に到達するには二十数年かかる計算です。赤ちゃんは大人に比べていとも簡単に言語を学ぶといわれるけれど、実際にはちゃんとそれだけの時間をかけて習得しているのです。ということは、大人でもそのぐらいの時間を費やせば、結構身に付くわけですよね。


竹内 さらに大人には目的やモチベーションもあるし、教材もちゃんとある。


馬塚 はい。赤ちゃんの場合に効率が悪いというのは、学習の規則も指導もない手探りのなかで時間だけをかけている、ということなんです。赤ちゃんが「本当は今アレで遊びたいけれどもちょっと我慢して言葉を覚えちゃおう」なんて考えることはないですが、例えば小学校5年生ぐらいになって「あの子と遊ぶにはこのくらいの単語を覚えとかないと遊んでくれない」とか、一緒に好きなゲームをやりたいとか、そういったインセンティブがあると「ちょっとここは我慢して言葉を集中して学ぶぞ」みたいな方法で効率が上がる。同じ量の情報を学んでも3歳の子よりは5歳の子、5歳の子よりは7歳の子と、蓄積できる量も増えていきます。そう考えると、一番効率的に学べるのは高校生ぐらいですね。語学に興味のある子が1年間だけ留学する時は、ちゃんと意識して「しゃべれるようになりたい!」と行くわけですから。


竹内 学校で一通りの基本的な文法を学んでからですしね。


馬塚 そうですね。あと自然に忘れちゃうことがない。いわゆる自然に学んだ言語ではなく、努力して学んだ言語は、数学とか社会科の授業と同じで覚えている。言葉のアトリション、覚えた言葉が自然に減って忘れていく、という現象があります。小さいうちは努力しなくても自然に学べる代わりに、周りにそういう言語に触れる機会がなくなったらどんどん忘れていく。人間の脳ってやはり限界があるので、捨てるものは捨てていかないと、本来学ぶべきものが入らなくなってしまいますから。忘却も記憶のステップのうちなんですよね。お子さんを連れて海外滞在を経験された方は実感があるかもしれませんが、小学校1年生と5年生ぐらいの兄弟姉妹を連れて2年ほど異国に滞在し帰国したとする。下の子は滞在先であっという間に周りの子どもたちとその国の言語で遊ぶようになっている。反対に5年生の子はなかなかそうはいかない。しかし、日本に帰ってくると下の子はすっかり現地の言葉なんか忘れちゃった、みたいなことですよね。


竹内 ありますよね。でも親としては自分が英語で苦労した分、子どもには苦労させたくないとついつい赤ちゃんのころから教材買っちゃたりってこともありますよね。


馬塚 講演会などでお話する際に、参加される方々から必ず聞かれるんですよね。「赤ちゃんのうちから英語を聞かせた方が良いでしょうか?」って。「別に害はないですけど、あまりメリットもないですよ」と答えています。よっぽどお金と手間をかけないと、あっという間にほかの新しい情報で上書きされてしまう。親にそれだけの時間や熱心さがあって、赤ちゃんが楽しんでやっているのだったら問題はないですけど、無理やりというのだけはやめた方が良いと伝えます。早期のバイリンガル教育といえば、過去にアメリカのわりと田舎の地域で英語と日本語のバイリンガル保育園があったんです。しかし、あっという間につぶれちゃった。先生方は本当に一生懸命日本語を教えていたのですが、結局、学校時間外のサポートがないんですよね。子どもたちがいくら10時から3時まで保育園で日本語をいっぱい聞いても、親は日本語は分からないし話さないし、テレビをつけても日本語の番組はほぼないし。保育園の外へ一歩踏み出した瞬間に、英語だけの世界に戻っちゃうわけですから。


本能的でアバウトなスキル


竹内 おもしろい経験がありまして、僕は25歳のときにカナダに大学院留学したんです。行ってからまるまる1カ月間、英語をほとんど聞き取れなかったんですよ。ところが……。


馬塚 ある日、突然聞こえるようになりました?


竹内 そうなんですよ! もう英語、完全に忘れちゃったのかと思っていたのが1カ月ほどたったある日、全部聞こえるようになったんです。


馬塚 素晴らしいですね! 多分それは「6カ月の壁」と呼ばれるもので、そのくらい経つとスッと入ってくるようになる。竹内さんの場合は子どもの頃の経験があるから、もっと早い時期に壁を超えたのかもしれないですね。


竹内 でも、小学3年生ではじめてアメリカで生活するようになったときは、おっしゃるように6カ月後に突然、英語が聞き取れるようになりました。


馬塚 よく短期留学で3カ月滞在するという話を聞きますが、その期間だとなかなかその壁を越えないで、数日旅行に行った場合と同じレベルで帰国することになってしまう。できれば1年ぐらいは滞在する覚悟で留学すれば、最初は辛いかもしれないけれども、6カ月の壁を越えてから戻ってくるのでその先はもっと流ちょうにしゃべれるようになれる可能性がある。もちろん帰国後も単語を学ぶとか継続とメンテナンスは必要ですけれどね。


竹内 赤ちゃんで言えば少し前にベビーサインが一部で流行っていたと思うのですが、言語発達への効果ってあるんでしょうか?


馬塚 一時期アメリカの西海岸エリアでは7割以上の親が取り入れているとも聞きました。赤ちゃんはミルクが欲しいのに語彙がないので伝わらず、お母さんがジュースをくれる。通じないから赤ちゃんはかんしゃくを起こす。でもサインで伝えられれば、かんしゃくを起こさずに済むっていう主張ですよね。張り切って子どもにサインを教えてみると、かんしゃくを起こす回数も減りボキャブラリーも増えて言語発達が上手くいった、それがだんだん拡大していって、小さいときにベビーサインをやっていた子が小学校に入ったらIQが15点上がったとか、そういう論文まで出ちゃった。しかし、言語発達を研究している研究者がいろいろ調べてみたところ、実はそうではなかったんです。実際にポジティブに働いた例をみると、ベビーサインをしていた子どもたちの場合は、語彙がないためにかんしゃくを起こす10~18カ月齢くらいの時期の育児はいくらか楽にはなっていたものの、観察を継続すると違う面がみえてきたのです。ベビーサインを使っていない子どもの場合、初語が出て、そこから語彙がわーっと発達してくる。しかし、ベビーサインを使っていた子どもはその語彙が爆発的に発達しはじめる時期が遅れていたんです。つまりベビーサインを学ばなかった子どもでは、コミュニケーションができないストレスが起爆剤となり、これまで頭で分かっていたけれども言葉で伝えられなかった単語が言えるようになった途端、一気にばっと出てくる、語彙が急速に増える。しかし、ベビーサインを使用していた子どもたちはそういうストレスもなくハッピーなので、わざわざ新しい語彙を学ばなくてもサインで通じちゃう、ってなる。


竹内 当たり前と言ったら当たり前ですね。


馬塚 そう。まあそれでもその後2~3年たてば、語彙レベルはあっという間に全く同じになるんですけれどね。長い目で見るとベビーサインも害のあるものではないし、お母さんにストレスが溜まって子どもに怒りまくるよりはもちろん良いですし。


竹内 基本的に保護者と子どもがともにハッピーでいられるのであれば、ある程度どういうことをやっても良い、ということなんでしょうかね。


馬塚 そうでしょうね。結局、人間の言語発達ってものすごくアバウトなはずなんです。そうじゃないとスキルとして生き残っていかない。脆かったら淘汰されてしまうでしょ。世代を超えて、いろいろな家族形態があっても言葉は残ってきている。言語の発達、獲得というものがちょっとやそっとのトラブルや変化で成立しなくなるような脆いものであるならば、多様性のある広い社会のなかや、世代を超えて引き継がれる気の遠くなるような時間のなかで、人間の大切なスキルとして残っていかない。それに言語運用については上をみたらきりがないです。ノーベル文学賞を取るような人や、ものすごく語彙が豊富な人もたくさんいる。しかし、例えば貧困など劣悪な環境で育つほかなかった場合や、不幸にも子どもが虐待されていた場合でも、社会のなかで最低限運用できるぐらいの言語知識というのは、ある程度ちゃんと獲得され、機能させることができる。生き残るための本能的なスキルというか、人間の根本的な認知能力の一つなんだと思います。もちろん生まれつき持っているスキルではないので学ぶ必要はありますが、学ぶために最低限必須な部分はものすごく柔軟性があって、親がこうだったとか、引っ越したとか、そのぐらいでは決して失われない素晴らしい能力なんだと思います。



竹内 よくよく人類の歴史を考えてみると、正確な時期については諸説あると思うのですが、実は言語を持たない時期もかなり長かった。そしてある時期から言葉という強力な道具を使えるようになった。つまり脳が新たな機能を獲得したということだと思うのですが、それってすごくワクワクするような事象だと思うのです。ヒトの脳の柔軟性というか発展性というか、われわれが掴みきれていないだけで、限りない可能性がまだまだ脳にはあるのではないかと。


馬塚 確かにそうですね。もし地球上に人類が今後何万年も生き残れたとしたら、そのころには言語より更に高度なコミュニケーションツールが使えるように脳が進化しているかもしれませんよね。でも、逆にAIとかいろんなツールが進化して、外国語なんかわざわざ学ばなくてもイヤホン一つで互いの言語が翻訳されて伝わったりするようになって、学習能力は退化してしまったりする可能性もあるのかもしれません。


異文化の中で目覚めた言語への興味


竹内 馬塚さんは赤ちゃんや小さな子どもを日々研究していますが、ご自身はどんな子どもだったんですか?


馬塚 3人姉弟の真ん中で、親の言うことは聞かないし、野生児みたいな子でしたね(笑)。親も放任主義というか、人に迷惑さえかけなければ別に何でもいいじゃん、みたいな感じでのびのび育ちました。


竹内 そうしたら小さい頃から割と関心は外に向いていて、外国文化や言語に興味はあったんでしょうか?


馬塚 小さい時から特に言葉に興味があったわけではないんです。研究分野として興味を持ち始めたのは、はじめてアメリカに留学した大学3年のときです。実はそれまでは主に視覚について取り組んでいて、卒論もその分野だったんです。「英語をしゃべる違う国に行ってみたら面白そうじゃん」みたいな本当に軽い気持ちでアメリカへ行ったのですが、留学してみて言語が通じないところで暮らすというのがどんなものなのかを身をもって体験することになりました。周りには親切な友だちも沢山いて、生活に困るようなことはなかったのですが、レストランでうまく注文できないとか、授業で教授が説明している宿題の内容が理解できないとか、迷子になった子どものような心細い気持ちになりました。逆にいうと言語を操れるっていうのは人間にとってとんでもないスキルだな、と思ったんです。その留学中に別の大学の大学院で言語学を専攻している知り合いが夏休みの短い間だけ日本語の講師を募集していると教えてくれて、日本語を教えるアルバイトをさせてもらったんです。そのときに周りにいた方々がみな言語学者で、例えば大人に日本語を教える専門家の先生の教え方は、日本で大人に英語を教えるのとは全く違って、完全に話す、聞くに特化したプログラムで指導していたり、別の先生は英語や日本語、中国語、ヒンディ語など多くの言語を比較して、子どもたちがどうやって文法を獲得していくかを研究していたりと、言語を学ぶということを研究するにしてもさまざまな領域があるということを知って、すごく興味を持ったんです。帰国後も夏休みだけ短期で呼んでもらって2~3回日本語を教える機会を経るうちにだんだんとその面白さに気づいていった。専攻として言語学に関心が動いたということではなく、あくまでも心理学者として、どうやって言語を獲得していくのか、という分野に興味を持っていった。



竹内 ではその頃からもう、研究者として言語を扱っていきたいと考えていたんですか?


馬塚 それがそんなにしっかりしたものでもないんです。大学時代は留学したので卒業が1年まわりから遅れているし、成績も悪くて落ちこぼれだったけれど、留学で興味の向くことも見つかったし、大学院でもう少しやってみたいと思った。ところが大学院の先生がすごく気にしておうちにまで呼んでくださって「進学したいって言うけれども、ご実家のご両親は了解しているの?」って。両親は放任主義だし、私としてもそこまで深く考えていたわけではないんです。でも当時、1年先に就職していた同級生から、女子社員は男子社員よりも朝30分早く出社して、部屋中の机をきれいに拭いてみなさんにお茶を出すことから一日が始まるという話を聞いて、「私には無理だ」と思った。その頃は本当にそういう慣習が当たり前にあったんです。また大手の企業などはコネがないとなかなか就職できない、ということもあり就職先も見つからず、大学院に進むことになった。先生には「女性が大学院なんか行っちゃったら、お嫁にもらってくれる人が減りますよ」と本当に言われましたよ。別に先生に嫁入り先探してくれって言ってないし、って思っていましたけどね。


竹内 今の若い方は想像つくかわかりませんが、ほんの少し前の日本ではそれが当たり前の価値観でしたよね。


馬塚 アメリカではこれにプラスして、私はアジア人というマイノリティに属するわけですよね。女性であり、アジア系であるというダブルハンディでしょうか。


誰もが快適な環境で働き続けられるように


竹内 今は多様性、ダイバーシティが強く叫ばれるようになってきていますが、研究者として女性にはタフな時代を過ごしてきて、またアメリカと日本を比べてみてどうですか?



馬塚 女性が研究者として感じるやりにくさは、日本の方が強くあると思います。私の場合は、アメリカで修士・博士課程を終了し、結婚をし、アメリカの大学で終身雇用までたどり着きましたので、その間あれやこれや口出しされずに済んだ。でも未だに頑張っている若い女性研究者たちが、「結婚しないの?」とか「研究者なんかやっているから結婚できないんだ」とか「子どもはいないの?」など心無い言葉を受けたり、辛い状況に立たされたりしている。はじめのうちは私が口出しするのもどうかと思い黙って見ていたのですが、もう最近は定年までカウントダウンということもあって、そういう状況に遭遇したらうるさく言うようにしています。声上げることが難しい場合や立場的にもそれができないときってあるじゃないですか。だから、私が代わりに声を上げる。多分うるさがられているとは思うんですが、誰か声を上げる人がいないとね。


竹内 研究者は長い教育期間を経てそれなりに知的レベルも高いし、海外での留学経験や諸外国との共同研究なども多いですし、性差や人種による境遇の違いなど、いわゆる差別は少ない方というイメージがあるんですが、そうでもないですか?


馬塚 私の場合は、研究以外の職場に身を置いたことがないので正確な比較はできないですが、周りをみていると、やはり立場の弱い人が仕事やキャリアをあきらめていく、ということは時々起こっています。また、差別意識がなくとも構造的に女性やマイノリティにとって働きにくい環境になってしまっている、ということもあると思います。理研でも過去にこんなことがありました。任期に限りのある派遣社員として働いている女性職員から「先生、トイレの数が少ないんです。雨の日は傘をさして走って女性トイレがある大きな建物に行くんです」と聞き、びっくりして担当部署に尋ねたことがありました。回答としては、もともと男性が多い研究所ではあるが、実際の男性職員と女性職員の人数の割合を調べてそれに合わせて改善を進めている、とのこと。ところがよくよく聞いてみると、それは常勤職員の数で割合を算出していて、派遣やパートタイマーは数に入っていなかった。実は研究を円滑に進めるための事務に従事してくださる派遣やパートタイマーの方は今のところ女性が圧倒的に多く、そのような働き方や立場にいる方々の数が全くカウントされていなかった。もちろん悪気があって女性用トイレの数を少なく抑えているわけではないのですが、不都合を感じている当事者に指摘されてはじめて分かることもありますよね。


竹内 2016年に公開された映画『ドリーム』でも同じエピソードがありましたね。1960年代のNASAが舞台でアフリカンアメリカン、つまり黒人の女性3人が奮闘する実話をもとにした映画でした。その中の一人が非常に優秀な数学者で、数学の能力を買われて新たに配属になった部署で「トイレはどこ?」と聞いても「有色人種用のトイレの場所は知らない」と同僚の白人女性に言われる。NASAのキャンパス内をもぞもぞしながらトイレを探して走って、結局は800メートルも離れた建物にしかない有色人種用トイレに毎回通うんです。


馬塚 そうそう。今よりももっともっと激しいアメリカでの黒人差別のなかでは、意図的に黒人や女性に不都合を押し付けても構わない、という考えがかつては強くありました。


竹内 映画の場合は主演のケビン・コスナーが「有色人種用トイレ」と書いてあるサインを大きな鉄の棒でガンガンたたいて壊した。そして「もうここはただのトイレだ。これからはなるべくデスクに近いトイレを使うように。ちなみにNASAではおしっこの色はみな同じだから」って言う。


馬塚 こんな経験もありました。デューク大学のサバティカル休暇の間、日本のある研究機関に招待され、そこに研究者としてしばらく滞在したことがあるのですが、時間外に建物に入れるのは研究者だけだった。ところが私はちゃんと研究者IDを持っているのにもかかわらず建物に入れてくれずに困った。守衛さんに「女性=派遣の秘書さん」という概念があったんです。財布など大事なものを身に着けて外に出ていた時は仕方がないからそのまま帰っちゃったんですけれど、何回も同じことがあったので、その研究所に招待してくれた先生に「こんなことが続くんだったら、もうデューク大学に帰る!」って抗議したんです。その後、善処くださったようで入れるようにはなったのですが、守衛所を通るときにちらっと見たら、複数ある守衛所すべてに私の顔写真が窓の裏に貼ってあって、「この人来たら入れてください」って書いてあったんですよ。この人を追い返すとあとで怒られるぞって。指名手配者か要注意人物みたいで大笑いでしょ? 現在では女性の研究者やエンジニアも増えてきたので状況は格段に良くなってきているとは思いますが、少し前まではこんなことも普通にありました。


竹内 男女の平等格差指数として世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数。2021年に発表された順位で日本はなんと156カ国中120位でした。これって本当に遅れている。私の娘が今11歳なのですが、彼女が社会に出るころにはもっともっと社会が良い方向に変わって、女性が女性だという理由だけでギャップや困難を感じることのない社会になっていて欲しいと思います。最後に、馬塚さんがハブとなって広げていった各国での赤ちゃん研究はこれからも継続していくと思いますが、馬塚さんの研究者としての最終的なゴールはありますか?


馬塚 若いころは、大きな学会で一番冒頭に研究発表をする基調講演を任された研究者や教授たちを見て、自分もあのステージで講演ができたら研究者として幸せだな、それができたならば引退しても良いよな、とか思っていました(笑)。また、大きな額の研究費を得てバリバリ研究を進めている研究者を見て、あんな風に自分の力で研究資金を獲得して自分の思うような研究を進められるようになれたら理想的だな、とも考えていました。もちろんそれも研究者としての醍醐味なのですが、自分の目指す研究者としてのゴールとは少し違うのかなというのが分かってきました。もう35年近く大学で教えることと研究を生業としてやってきましたが、研究というのは毎日少しずつ新しいことを見つけ、ちょっとずつ前に進んでいくもので、どこまで行っても必ずその先がある。決して最終的なゴールという大きなものがあって、それが達成すれば終わりというものではなく、次に出会う疑問や課題を一つひとつ少しずつでも解明へ進めていく、それを継続すること自体が研究者としての永遠のゴールのような気がします。そしてもちろん女性研究者や立場上弱い人々の働く環境が少しでも良くなるように、声を上げていきますよ。





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Profile

  • 今夜の研究者

    馬塚 れい子(まづか れいこ)
    理化学研究所 脳神経科学研究センターにて言語発達研究チームを率いる。
    静岡県浜松市出身。名古屋大学大学院心理学部修了後、イギリス、エジンバラ大学で言語学の修士を取得。その後渡米しコーネル大学にて博士課程修了(発達心理学)。
    デューク大学の準教授教授を経て2004年より現職。若いころは読書が趣味で、雑誌や漫画、小説など手あたり次第に読んでいたが、最近はだらだらと何もしないですごすことが贅沢な趣味になってきた。研究以外の時間はアメリカ在住の夫とオンラインで長話をしたり、たまに散歩に出かけたりするのを楽しんでいる。

  • Barのマスター

    竹内 薫
    猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
    X(Twitter) : @7takeuchi7


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編集協力

NATURE & SCIENCE