第九回 Joshua Johansen It's a Big, Wide, Wonderful World♪-旅に出て 広い世界で見つけた自分だけの道

第九回 Joshua Johansen
It's a Big, Wide, Wonderful World♪-旅に出て 広い世界で見つけた自分だけの道 前編

遠回りをして見つけた研究者の道


竹内 ジョッシュさんはアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス出身ですよね。そこで受けた教育は、通常のシステムとは少し違っていたと聞きました。


ジョハンセン はじめはロサンゼルスに住んでいて、のちに北カリフォルニアにある小さな海沿いの街、サンタクルーズに引っ越しました。そこで過ごした幼稚園から中学2年生頃まではちょっと変わったシステムの学校に通っていました。日本にも数校あるようですがシュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)を実践する学校です。私の両親はヴァルドルフ教育の先生なんです。特に低学年では教科書はあまり使わず、読書やストーリーテリングを通して学びます。例えば、生徒たちは古代文明の神話に浸りながら数や算数を学び、学んだことをもとに絵を描いたり文章を書いたりして、自分だけの教科書を作ります。芸術的で創造的で体験的な要素が強い教育システムといえますね。


竹内 なるほど。教える側の経験やスキルが鍵のようですが、子どもたちは創造性を育みながら学習し成長できるシステムですね。


ジョハンセン 小学校から中学校まではヴァルドルフ教育の学校に通っていたのですが、私が通っていた学校は8年生(中学2年)までだったので、通常教育の公立学校に転校しました。その頃は学校に行くよりも、サーフィンをしたり、人生を楽しんだりしていました(笑)。



竹内 サーフィンですか! 最高な青春時代ですね!


ジョハンセン そうですね、良い思い出です。ただ、勉強は……ちょっと支障が出てしまいました(笑)。


竹内 若者らしくやんちゃなこともやりつつも、素晴らしい学校生活を送られたという印象を受けました。創造性を重視し、自分の頭で考える教育システムを受けたことが、今、ジョッシュさんが研究者としてクリエイティブでいられる理由かもしれませんね。


ジョハンセン そうだと思います。ただ、このことには二つの側面があると思います。創造性を育んだことは研究者として重要であり、自分の強みでもあると考えています。しかし、高校までの間は学業にあまり力を注いでいなかったからか、のちに学問や研究に進む道を見つけるのに時間がかかってしまいました。


竹内 いつ科学者、研究者になろうと決められたのですか?


ジョハンセン 長い道のりなんです。はじめは大学へ進学することさえ迷っていましたが、最終的にはビジネス分野に強い北カリフォルニアの小さな大学に入学しました。そのころは文学や人文科学に興味を持っていて、特に心理学や哲学の授業が好きでした。この頃に出会ったメンターたちが学問にどんどん傾倒していく私を見て、この大学は私にとって最適な学びの場とはいえないので、ほかの大学へ編入するよう勧めてくれたのです。


竹内 周りの大人たちが、ジョッシュさんの学問に対する素質に気がついて導いてくれたのですね。


ジョハンセン 本当にその通りです。そうした助言がなければ、今こうして研究者として日本で暮らしてはいなかった。キャリアを通じて、メンターは私にとって重要な存在です。アドバイスに従ってほかの大学へ移ることに決めたのですが、すぐには編入せずに休学期間を持つことにしました。あちこち旅をして、異なるバックグラウンドや文化を持つ人々と出会い、学び、自分自身の目で世界を見てみたかった。私はコロラド州に移り、働いてある程度お金を貯めては旅行に出かける、という生活を3年間続けました。



竹内 日本でもそのように、ボランティア活動をしたり世界を見てみたりとサバティカル期間を持つ学生が増えましたね。若い頃に大学などでの勉強以外に、さまざまな経験を積むというのはとても良いことだと思います。


ジョハンセン この時間は、私にとってとても重要でした。大学へは通わずとも、ますます知的好奇心が湧いてきていつも本を読んでいました。読書をして旅行をして……人生でやりたいことについて考えるための時間でした。高校卒業後は自分で生計を立てていたので、経済的なこともちゃんと考えないといけませんでした。高校野球のコーチや草刈り、雪かき、新聞配達、食料品店での店員などさまざまな仕事を経験し、多様な社会的背景を持つ人々と一緒に仕事をすることで新しい視点と洞察を得ました。学問という知的な活動に価値を感じながらも、人々の生活をより良くするための仕事をしていきたいという気持ちが芽生えました。


竹内 大学での勉強だけだと、なかなか実体験を持って社会的な課題を見つめる機会は少ないのかもしれない。ジョッシュさんにとって、ある意味ペースを落として地域社会に深くかかわり、旅をしながら今まで知らなかった物事を見て感じることで、自分の世界が広がると同時に本当にやりたいことが見えてきた時期だったのでしょう。



ジョハンセン その通りだと思います。この時期の体験に後押しされ、大学では臨床心理学を専攻することに決めました。コロラド大学ボルダー校に優れた臨床心理学のプログラムがあることを知って転入し、真剣に学問に向き合いました。さらに、双極性障害に関する臨床心理学研究室でボランティアをし、家族療法がこの病気に及ぼす影響を研究しました。特に、リンダ・ワトキンス教授の感覚システムの授業に夢中になりました。授業内容だけでなく、ワトキンス教授自身にも非常に魅了されました。それまでは、生物学、物理学、化学などの自然科学にはあまり興味がなかったんです。しかし、ワトキンス教授の授業をきっかけにこれらの分野に興味を持つようになり、臨床心理学だけでは人間の行動や思考を深く理解することはできない、生物学こそが答えを見つけることができる場所で、その答えこそが最終的には人々の助けになるのではと考えるようになりました。


竹内 どんどん学問を探求する速度と知的好奇心が高まってきましたね。


ジョハンセン そう、とても刺激的な時間を過ごしました。さまざまな学問的環境の中で経験を積んだり、色々なアイデアを得たりすることができた時期ですね。引き続き双極性障害の研究室で働き続けながら、ワトキンス教授の研究室でも働き始め、脳科学にどんどんハマっていきました。次第に「患者さんと向き合う仕事がしたいけれど、自分がやりたいことは臨床心理学ではない」と思うようになりました。医学部進学を考えたのですが、そのために必要な化学や物理といった自然科学系科目の単位を十分に取ってこなかった。そこで、まずは大学を卒業し、その後に働きながらこれらの科目をしっかり勉強することにしました。ワトキンス教授の紹介で、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)ハワード・フィールズ教授の研究室でラボマネージャーとして働くことになり、サンフランシスコに引っ越しました。


働きながら学び、魅了された脳研究


竹内 ラボマネージャーというと、例えば実験に必要な薬品や機材を購入するなど研究をスムーズに行えるようサポートする仕事ですよね?



ジョハンセン はい、それが私の仕事でしたが、私は研究への野心があり、ハワードはそういう私を励ましてくれるボスだったので、最終的にはラボマネージャーとして働きながらも多くの実験技術を学び、自分自身の研究を行うまでになりました。ラボマネージャーとして働いた5年間で、医学部進学に必要なすべての科目を履修できました。とてもワクワクする時間を過ごし、研究室と授業の両方で神経科学について多くを学びました。今振り返ると、自分の進むべき道を拓いていった時期だったのだと思います。


竹内 働きながら学ぶ、忙しくともとても濃密な時間ですね。ハワード・フィールズ教授のラボではどのような研究が進んでいたのですか?


ジョハンセン 彼のラボは「痛み」の研究、特に痛みの予測が実際の脳内の痛覚回路に対してどのように作用しているのかについて研究していました。


竹内 分かったような、分からないような。具体的にはどのような事象を指すのでしょうか?


ジョハンセン 例えばあなたが戦場にいて、敵から撃たれる可能性のある危険な状況で、今まで経験したことのないストレスを感じているとします。そして不幸にも弾丸に当たるのですが、その瞬間はなぜか痛みを感じません。しかし、戦場を離れたとたんに極度の不快感を覚えはじめる。この現象は、戦闘中の兵士や交通事故の被害者によって繰り返し報告されています。これは私たちが何か悪いことが起こると予想するときにも起こります。実際に体験している時に痛みを感じないという現象は、ストレス、恐怖、心的外傷の状態下で働く特定の脳メカニズムで、痛みの感覚を減らすことで私たちが生き残るのを助けてくれます。モルヒネのような鎮痛剤もまさにこの脳内鎮痛系が作用します。ハワードの研究室が脳内の鎮痛回路を発見したのですが、研究室としては広く痛みのメカニズム全般に研究の焦点を当てていました。



竹内 脳は外からの入力を受け身で処理しているだけでなく、痛みを予測し、入ってくる「痛み情報」の量も変えているのですね。でもそれをどうやって実際に研究するのですか? 報告に基づく研究だけではなく、脳内の生理現象として何が起こっているのかを検証する必要がありますよね。


ジョハンセン ラットなどのげっ歯類を用いて検証します。痛みに関する特定の神経回路は脳幹という部位にあり、脊髄に入力されてくる痛みの情報を抑えます。実験では、ラットのしっぽに軽い刺激を与えながら、脳幹に挿入した細い電極で脳幹の神経細胞が発する電気信号を記録していきます。そこには、ラットが嫌がる痛み刺激に対して活動するオン細胞と呼ばれる神経細胞や、反対に抑制されるオフ細胞などの、異なるタイプの細胞が存在していました。


竹内 なるほど。それが痛みの感受性にどうつながるのでしょうか?


ジョハンセン 痛みへの感受性は、オン/オフ細胞の反応を観察することで測定できます。たとえばラットにモルヒネなどの鎮痛剤を与えた場合、オフ細胞の活動は増加し、反対にオン細胞の活動は減少し、痛み刺激に対する反応が少なくなります。この脳内システムはストレスや恐怖への反応時にも起こります。これを最初に観察したときは、本当にすごいと思いました。その実験プロセスは釣りに似ていて、海中にいる魚に対して釣り糸を垂らすように、実際に生きた脳の中に分け入って細胞へ向けて電極を深く挿入していく。実験中には神経細胞の電気活動を音に変換して確認するのですが、神経細胞に近づくにつれその音が大きくなり、それを手掛かりに獲物を捕まえるわけです。音を聞きながら神経細胞の活動がラットの行動にどのように反映されているのかを観察する。神経系のダイナミックな活動が、動物の行動をコントロールしている様をリアルタイムで見ることにすっかり魅了されました。


Blake_Porter_Neuro · Bursty Interneuron in Dorsal CA1


竹内 脳科学に限らず生命科学分野の研究者にとって、普段は目でみることができないミクロな生命の営みを実際に目にするという体験は、とても大きな感動を呼び起こすのでしょうね。多くの科学者が、その美しさ、荘厳さを語ってくれます。


ターニングポイントは「痛み」の研究


ジョハンセン 私の場合、心理学的理論だけでは説明できなかったことが、生物学的アプローチによって明らかになり、それを自分の目と耳で確認できることに感動しました。当時、ハワードの研究室は痛みの研究から依存症や動機づけ行動の研究に移行していたころで、彼はUCSFの痛みと依存症研究センターのディレクターになり、2021年にノーベル生理学・医学賞を受賞したデビッド・ジュリアスや学習と記憶のシナプス機構について先駆的な成果を挙げたロジャー・ニコル、そして鳥の歌学習とヒトの言語に関する研究の先駆者であるアリソン・ドゥープなど、さまざまな分野における世界的に著名な研究者を研究センターに集め、まったく新しい研究分野に着手しようとしていました。週に一度は皆で集り論文を読み、議論し、重要な課題を特定し、そのなかから一番重要で未解決の問題は何なのかを明らかにしようとしていました。若かった当時の私にとっては、それはもうエキサイティングでした!


竹内 当時の神経科学界のスーパースターのなかにジョッシュさんはいたのですね!


ジョハンセン 本当にラッキーだったと思います。特に重要だったのが「すでに得られた知識すべてを整理しながら分かっていることと分かっていないことを洗い出し、そこから最も重要な新しい課題を特定する」という学問の土台となる作法を学んだことです。つまり、研究における新しい道筋を描く方法です。ラボマネージャーとして働いている間、私はこのプロセスを追求することで、痛みの研究に残された未解決の課題について考察していきました。


竹内 その未解決の課題とは具体的には何だったのですか?


ジョハンセン 高次な脳のメカニズムを理解するためには、この分野を先導してきた基本的な考え方や理論的枠組みを見直して再構築する必要があると感じていました。そのカギとなる疑問は、「何のために痛みがあるのか?」ということで、これは未だ説明できていません。当時、研究者たちは痛みを触覚のような「感覚」として捉えていました。痛みの場所や強さはどのように知覚されるのか、熱によって生じる痛みや圧痛など力が加わった時の痛みといった異なるタイプの痛みはどのように伝達されるのかということが研究の焦点でしたが、痛みが生物の行動をどのように変化させているのかについてはほとんど理解が進んでいませんでした。私たちにとって痛みがある理由とは、痛みの原因となる環境から逃げ、なおかつ将来的に痛みをもたらす状況に自分を置かないように学ぶためです。では痛みがどのように学習や行動の変化を引き起こすのか……。私はこの疑問について研究すると決めました。この疑問を出発点に、ハワードの研究室時代にインパクトのある論文をいくつも発表し、それらが今、理研で進めている私の研究の原点となっています。



竹内 だんだんと関心が医学から基礎研究へとシフトしていったのですね。


ジョハンセン ちょうど医学部受験の準備を始める時期でしたが、すでに神経科学研究に強い興味を持っている自分がいたんです。いよいよどちらの道へ進むか、自分の人生で何をしたいのかを見極める時がやってきたと思いました。


竹内 わぁ、ターニングポイントだ。で、選んだ道は……?


ジョハンセン はい(笑)、今までの話からわかるように、私の興味は変わり神経科学研究の道へ進むことにしました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の博士課程に入学し、タッド・ブレア博士の研究室で不快な経験が恐怖記憶を引き起こすメカニズムを研究し博士号を取りました。34歳になっていました。その後、情動(感情)と学習、記憶の脳メカニズムを研究するために、ニューヨーク大学のポスドクのポジションに移りました。ジョゼフ・ルドゥー博士の研究室で4年間過ごし、自分の研究室を立ち上げるために理化学研究所へ移りました。



後編へつづく




Profile

  • 今夜の研究者

    Joshua Johansen(ジョシュア ジョハンセン)
    理化学研究所 脳神経科学研究センターにて学習・記憶神経回路研究チームを率いる。
    米国カリフォルニア州出身。UCLAにて博士号取得。
    NYUでのポスドク研究員を経て、2011年より理研にて研究室を主宰。カリフォルニア州サンディエゴでサーフィン、コロラド州でスキー、現在はサイクリングにはまり瀬戸内しまなみ海道も訪れた。バックパッキングで世界を旅し、日本では家族との旅行を楽しんでいる。
    X(Twitter): @JoJoLab5

  • Barのマスター

    竹内 薫
    猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
    X(Twitter): @7takeuchi7


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