脳と時空間のつながり vol.2

頭の中に絶対空間があった!

エピソード記憶を調べるために、起こったイベントの順番を動物に記憶してもらうには、いろいろな工夫をする必要があります。しかし、もともとマウスやラットなどの動物は、場所を覚えたり、迷路を学習したりといった、空間に関する記憶が得意なので、エピソード記憶を空間記憶とうまく結びつけて研究できないかと長年考えられてきました。

まず、ラットの空間認識能力に関して、1948年に心理学者のエドワード・トールマン博士が興味深い実験を行いました(図3)。まず、ラットに迷路を覚えさせます。ステージに出たら、まっすぐ進んで、左に行って、右に行って、さらに右に曲がると、エサがもらえるということを何度も学習させます(図3左)。完全に学習できたあと、ステージから先の、まっすぐに行く通路を行き止まりにしました。その代わり、ステージに20本ぐらいの通路を放射状に付けたのです(図3右)。

ラットはどの道を選ぶか?
図3 ラットはどの道を選ぶか?
まず左の迷路を覚えさせたあとに、右の迷路を解かせると、ゴールまでの最短距離を進んだ。

このときラットは、どうすると思いますか?

もし、エサのある場所について、通路を歩く「手続き」として覚えているのであれば、おそらく最初に覚えた通路に近い通路に向かうでしょう。

ところが、ラットは直線距離で目的地にもっとも近い通路を選びました。もちろん、エサのある場所はステージから見えていませんし、学習後の実験では、そもそもエサを置いていないので、匂いなどの手がかりはありません。

この結果を解釈すると、ラットの頭の中には、絶対空間があるということになります。絶対空間とはニュートン力学の用語で、物体の存在とかかわりなく不変不動の空間のことです。おもしろいですよね。人間でいえば、この辺りの能力が方向音痴と関係してくるのかもしれませんが、まだあまり分かっていません。

冒頭で紹介したオキーフ博士は、カント哲学を導きの糸にして、海馬に「場所細胞」を見つけました。そのオキーフ博士の実験を簡単に説明しましょう。

まず、ある空間を自由に動き回っているラットの海馬で、いくつかのニューロンの活動パターンを電気信号として記録していきます。信号の強弱は、一定時間における波の数(発火頻度・発火率)で表されます。記録したうち、あるニューロンは、ラットが実験用のケージ(箱)の左上の隅に来たときだけ発火しました。別のニューロンは、右上の隅に来たときだけ発火しました。つまり海馬の中には、場所特異的に活動するニューロンが存在したのです。オキーフ博士はこれを「場所細胞」と名付けました(図4)。

それぞれの場所細胞は、異なる場所をコード(符号化)しています。したがって、場所細胞がたくさん集まると、すべての空間をカバーできることになります。つまり場所細胞とは、どこに自分がいるかを表現していて、脳内で外界の地図のように機能するニューロン群だというわけです。

場所細胞の働き
図4 場所細胞の働き

なんとも賢い場所細胞の「圧縮表現」

おもしろいのは、これだけではありません。注意深く海馬のニューロン活動を見てみると、10ヘルツぐらいの強い波(シータ波)が、バックグラウンドとして出ていることが観察されます。1秒に10回ほど上下する波の上に、海馬ニューロンの活動(数ミリ秒ほどの波)が乗っているのです。

場所細胞の発火は、バックグラウンドの波の谷底にタイミングを合わせていちばん強く活動します(発火頻度が高くなる)。これは、おそらくベースになるバックグラウンドの波がクロック信号(同期信号)のような働きをしていると考えられます。

しかも、ただ同期しているだけではありません。たとえば場所細胞を計測していると、ラットの移動とともに活動は弱まります(発火頻度が低くなる)。それと同時に、発火するタイミングが少しずつ谷底からズレていくのです。次の場所では、そこに対応する次の場所細胞がバックグラウンドの波のいちばん谷底で発火し、同じように移動とともに発火は弱まり、タイミングもバックグラウンドの谷からズレていきます(図5)。

何のためにこのズレが生じるのかは、次々と移動していったときの信号をすべて、バックグラウンドの波の上で重ね合わせると分かります。それぞれの場所細胞の信号は、バックグラウンドの波の上で順序良く隣接するのです。つまり、およそ0.1秒(10ヘルツの波、1周期分の時間)で、場所細胞が順番に発火していることが分かるわけです。

たとえば数秒かかった移動の経験が、発火の順序として、短い時間の中に圧縮されていることになります。これを場所細胞の「圧縮表現」といいます。普通、脳が情報をコード(符号化)するときは、ニューロンの発火率・発火頻度を用いているのですが、同時に、こうした精密な発火タイミングを使っても、脳は情報をコードしているのです。つまりニューロンが一つのグループになって、ある一瞬の波形の中に、発火順序の形でグループ全体としての情報がコード化されているということです。

場所細胞の圧縮表現
図5 場所細胞の圧縮表現
移動するにつれてズレて発火した別々の場所細胞が、
一つの波に圧縮して表現されている。

復習・予習をする場所細胞

さらにおもしろい現象があります。たとえば、ラットが移動した経路が5つの場所細胞でコードされていたとします。このとき、1番目の場所をコードしている場所細胞から5番目の場所細胞までが、バックグラウンドの波の上で順番に発火しています。その後、目的地に到達したら、ラットは休憩します。

この休憩時の活動を記録すると、今度は100ヘルツぐらいのリップル波という、さっきとは別のバックグラウンドの波の上で、このニューロンたちが逆順で(5から1に)一気に発火する、という現象が見つかったのです(図6)。

先に数秒かけて行った場所の移動を0.1秒ぐらいに圧縮して、逆順にリプレイしていたのです。おそらく、これは「回顧」で、学習効果を高めること(新しく作る神経回路の強化)に関係しているのかもしれません。ある種のエピソード記憶といえます。まさに、自分のとってきた行動を回顧しているわけですから。

さらに移動する前のニューロンの活動でも、同様の現象が見つかりました。移動する前に、同じ場所細胞の活動を見ると、同じリップル波というバックグラウンドの波の中で、今度は順番に(1から5に)活動していました。移動する前に、自分が通過する予定の場所に沿った順番で、それぞれの場所細胞が活動しているのです。

おそらく、これから移動するルートを想像しているのでしょう。たとえば、障害物を回避するときの海馬を測定すると、事前に迂回ルートの場所細胞が発火していました。つまり、行動の予定が現れているのです。こうした場所細胞の圧縮再現は、デイヴィッド・フォースター博士が2000年代から最近にかけて発見しました。

場所細胞のリプレイ
図6 場所細胞のリプレイ
スタート前には、これから移動する順番で場所細胞が発火し、ゴールしたあとは、通ってきた順番と逆に場所細胞が発火する。予想と回顧をしていると考えられる。

夢を見ているとき、脳は何をしている……?

別の研究になるのですが、ある生理現象の中でも場所細胞の圧縮表現が確認されました。それは、睡眠です。なんとラットが夢を見ているときの海馬で、場所細胞がリプレイされていたのです。睡眠には、ノンレム睡眠(夢を見ない)とレム睡眠(夢を見る)があります。おもしろいことに場所細胞のリプレイは、ノンレム睡眠ではリップル波(回顧や予定しているときと同じ)の上に、レム睡眠ではシータ波(歩行中と同じ)の上に圧縮されていました。

つまり、夢を見ているときには歩行中と同じ速さで、夢を見ていないときには圧縮されて、リプレイされていたのです。リプレイの速さが夢と重なっているように見えるのは、とても興味深いところです。

先に述べたように、リプレイは神経回路の強化に機能しているだろうと考えられています。実際、睡眠時に場所細胞のリプレイを阻害すると、学習が困難になることが分かっています。睡眠時におけるリプレイは、記憶の整理に何か機能しているのでしょうが、今のところ研究の途上です。どのように怖い夢や楽しい夢が記憶を整理しているのか、ノンレム睡眠とレム睡眠におけるリプレイに違いがあるのか、今後、おもしろいことが明らかになるかもしれません。

著者:藤澤茂義 時空間認知神経生理学研究チーム チームリーダー

出典:講談社ブルーバックス



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