第三回 西道隆臣 Till the End of Time♪-アルツハイマー病がない世界をつくる

第三回 西道隆臣
Till the End of Time♪-アルツハイマー病がない世界をつくる 前編

アルツハイマー病を克服したい


竹内 西道さんは認知症、アルツハイマー病を研究していると聞きました。


西道 1997年に研究室を立ち上げ、20年以上アルツハイマー病をテーマに研究をしています。パンデミックとなってしまったコロナウィルスももちろん大きな社会課題ですが、感染症は繰り返すことはあっても、長い目でみればだんだん減少していきますよね。認知症の場合は加齢・老化が最大の危険因子です。人はみな歳を取る。基本的には長く生きると全ての人が認知症になる可能性がある。私の研究室では認知症の中でもアルツハイマー病に焦点を合わせていて「アルツハイマー病がない世界をつくる」というのが最終ゴールです。


竹内 研究の内容としては、まず発症の原因を探るということでしょうか?


西道 そう、病気の原因を突き止めることと、もう一つ重要なのは動物モデルを作ることです。研究では仮説を立てて実験と検証を繰り返すわけですが、実際に患者さんで臨床試験を行うのはハードルが高いですし、お金も時間もかかる。ですから、臨床試験の前段階としての基礎研究が重要なわけですよね。しかしヒトのアルツハイマー病と同じ脳の状態を正確に再現できる動物モデルが存在していなかった。これでは病気のメカニズム解明も、治療法開発も進まないぞということで、私たちのチームが世界で初めてヒトに非常に近いアルツハイマー病の脳を再現できるモデルマウスを作りました。このモデルマウスを使いながらアルツハイマー病の原因と考えられる物質、蓄積したタンパク質などをどうやったら取り除くことができるか研究をしています。


マウスをヒト化したら研究が進みだした


西道 認知症になると記憶力、思考力、言語能力などが低下する、位置情報が分からなくなるなど、自立した生活ができなくなる。病気を発症した本人も周りのご家族も大変困りますし、当事者にはならなくとも認知症に関連して社会が負担する医療費額は15兆円にも上ります。


竹内 ものすごい金額ですね。認知症のなかでも西道さんがテーマにしているアルツハイマー病が一番厄介なんでしょうか?


西道 認知症といってもさまざまな原因と種類があるのですが、とにかくアルツハイマー病が一番多いんです。世界では恐らく5000万人がアルツハイマー病だといわれています。日本では認知症の患者数は700万人以上、そのうち約500万人がアルツハイマー病です。つまり認知症の約7割を占めるのがアルツハイマー病です。残りの2割が脳梗塞や脳内出血、心筋梗塞などの血管関連の病変が原因の血管性認知症で、1割がレビー小体型認知症などです。


竹内 日本はすでに超高齢化社会ですし、アルツハイマー病の克服は喫緊の課題のように思うのですが、効果的な治療法ってなかなか聞かないですよね。最近やっと、米国の製薬会社バイオジェンと日本のエーザイが共同開発したアデュカヌマブという新薬が2003年以来はじめてアルツハイマー病治療薬として米食品医薬品局(FDA)に条件付きで承認されて大きなニュースになっていましたね。


西道 そう、アルツハイマー病は100年以上も研究されてきているのですが、根本的な治療法がまだないのが現状です。多くの製薬会社が莫大な費用を投じて薬を作り効果を試してはいるのですが、どれもきちんとした成果がない。今回のアデュカヌマブは対症薬ではなく原因物質の一つであるアミロイドβタンパク質を除去するという戦略としては初めて承認された薬であり、そのアプローチにある程度お墨付きを与えられたという点では画期的であり、次なる展開を切り開いたとも言えるでしょう。ただ、病態が進行し神経細胞死を起こしている状態にはほとんど効果がないなどまだ課題も多くあり、それを踏まえた条件付き承認ということで、アルツハイマー病の克服という私たちの目的の達成においては、まだまだこれからというところです。


竹内 なるほど。自分たちが将来かなりの確率でかかるかもしれない病気なのに根本的な治療法がしっかりと確立されていないって不安になりますよね。おちおち「長生きしたい」なんて言えないな。アミロイドという原因物質があることはわかりました。そのほかに脳内では何が起こってアルツハイマー病が引き起こされているのですか?


モデルマウス脳内のアミロイド(緑の斑点)左が2か月齢、右が9か月齢のマウス

西道 疾患の直接の原因は細胞死なんです。簡単に言うと、脳内の神経細胞(ニューロン)の外側にアミロイドβという本来は分解され除去されるはずのタンパク質が、どんどん異常に溜まっていき、老人斑という斑点状のシミのように見える塊を脳内に作る。するとそのうちニューロンの内側にタウという別のタンパク質が集まって塊を作りはじめ、こちらもどんどん溜まって脳内の炎症が悪化してニューロンを死に至らしめる、という仕組みです。つまり加齢とともに脳内にどんどんゴミが溜まっていくんです。


竹内 老化をすると自浄作用も弱くなるというこということですね。きっと寿命が50歳くらいだったころはこの病気は問題にはならなかったんでしょうね。


西道 そうそう。人間の寿命って近年にぐっと伸びましたよね。1940年頃までは人生50年くらいでした。脳内にゴミが溜まっていても50歳で亡くなるわけだから困らなかった。それが今や90年、長生きすると100年と生きるようになって、その脳内のゴミが悪さをするようになったということです。個人差はありますが、アミロイドは実は40代ごろから溜まり始め、60代後半ころからタウが蓄積することが分かっています。長い年月をかけて細胞が死んでいき、脳に少しずつ異常が生じて、最終的に認知機能の低下という外から症状が確認される状態になる。脳内にゴミが溜まると何が起きるかっていうと、炎症が起きるんですね。ガンでもそうですが、炎症って細胞に良くないじゃないですか。活性酸素なんかを出したりして、周りの細胞にまで影響を与えてしまう。結果的にニューロンが死んでしまい、脳をMRIで撮ると萎縮している。当然長いプロセスを経て発症しているので症状が出てからでは治療は難しい。


竹内 なるほど。そうなると原因と考えられるアミロイドとタウが溜まらないようにすれば良いと。または溜まってしまったものを後から分解や掃除できれば良い。


西道 簡単に言うとそういうことになります。アミロイドとタウの関係性というと、今のところ、アミロイドがヤクザのボス、タウはヒットマンみたいな感じで悪さをする、と考えられています。順番としてはアミロイドが脳全体に溜まって、その後タウが全域に広がる。そしてタウが溜まるとほぼ同時にニューロンが死に始めて、軽度認知障害(MCI: Mild Cognitive Impairment)になる。その後はもうタウがどんどん溜まってニューロンも次々死んでいく。でも、実際はタウも割と早い時期に脳の一部に溜まり始めているとも言われているんです。だから、実はそもそもタウの蓄積が引き金なのかもしれない。アミロイドとタウが、どのように互いに影響し合うのかっていうことも実はまだ完全には分かっていないのです。


竹内 そうか、因果関係をはっきりさせないと治療法にはつながらない。


西道 はい。ところが、こうした因果関係を研究するのに適したモデルマウスがなかった。マウスの脳内では3種類のタウが存在するんですが、ヒトの脳では6種類ある。マウスとヒトでそもそもタウの遺伝子が違うんですね。だから、よりヒトに近い脳の状態をマウスで再現するために、マウスのタウの遺伝子をヒトのタウの遺伝子と完全に入れ替えたマウスを作ってみたんです。“ヒューマン・タウ(ヒト化タウ)マウス”って呼んでいるんですが、そうするとマウスの脳内でもヒトと同じ6種類のタウを作ることができた。タウというタンパク質レベルでもモデルマウスの脳をヒト化することができたんです。


伝搬するタンパク質


竹内 ヒト化したタンパク質、それもアルツハイマー病の原因タンパク質を持ったマウスができたと。これはアルツハイマー病の研究にはインパクトがあったでしょうね。


西道 そう。しかもタウをヒト化したモデルマウスを使うと、それまで研究できなかった現象も研究できるようになってきた。例えばタウっていうのは伝搬しちゃうんです、ヒトの場合は。


竹内 えっ、伝搬する? タウって自己増殖する細菌やウイルスと違って、ただのタンパク質ですよね? それが増えて広がっていくということですか?


西道 プリオンってご存じでしょうか。狂牛病(BSE)の原因であるタンパク質。狂牛病に感染した牛の異常プリオンが処理されて肉骨粉となって家畜やペットが食べて感染したと大きな問題になりました。イギリスでは1990年代に15歳の少女に感染した報告があり世界に衝撃を与えました。このプリオンはただのタンパク質なのに脳内で伝搬、つまり増えて広がっていくんです。あれと同じです。


竹内 脳がスポンジ状になってしまうBSEはかなり報道され、日本では牛肉の輸入規制もされましたよね。アルツハイマー病の原因タンパク質のタウも同じように伝搬する、と。


西道 はい。どういう実験をしたかというと、実際の患者さんの脳に溜まっていたタウを冷凍保存しておいて、それをマウスの脳、海馬に注射するんです。これを普通のマウスの海馬に注射しても少ししか伝搬しない。だからタウの伝搬についての研究は進んでいなかった。ところがヒューマン・タウ、つまりヒト化したマウスの脳に入れるとわーっとタウが脳内に広がったんです。まさにプリオンみたいに伝搬しやすいことが分かった。そうすると、脳内でのタウの伝搬を止めれば、治療になるんじゃないかっていう新しい発想が生まれる。こういった実験も世界中で行われていて、われわれが作ったヒト化したタウ・マウスが使われています。


竹内 なるほど。研究に必要な新しい道具が開発できると新たなアプローチも生まれてくるんですね。伝搬というとちょっと怖い感じがありますよね。これは実験と同じように、直接、脳に異常なタウタンパク質を注入しなければ伝搬しないんでしょうか?


西道 基本はそうなんですけれども、狂牛病では感染した部位を食べなくても屠殺場の男性が上半身裸で肉を担いで運んだ作業から感染したという報告もありましたし、疾患の原因となるタンパク質が消化器系から伝搬するという報告もあります。例えば、パーキンソン病の原因物質であるα-シヌクレインというタンパク質は腸管膜からも脳へ伝搬します。脳と腸って色々な神経がつながっているんですよね。さまざまな脳疾患と腸の密接な関係については近年、研究が進んできている分野です。


竹内 アルツハイマー病に関しては、何かを食べたことによってタウが伝搬しちゃうとか、そういう危険性はないんですね?


西道 今のところ報告はないと思います。ヒトのように6種類のタウを持っているというのは、高等な霊長類だけなので、もしかしたら、中国などで見られるサルの脳を生で食べる食文化はちょっと怖いかもしれないですね。


竹内 やめたほうが良いと。


西道 やめたほうが良いと思います。


始まる前に止める! 先制医療で発症させない


竹内 周りでは自分の親や親せきがアルツハイマー病だってケース、本当によく聞くんですよね。次の世代の私たちからすると、やっぱりこの病気は遺伝するのか、すごく関心があります。


西道 アルツハイマー病には家族性アルツハイマー病と孤発性アルツハイマー病の二つがありますが、家族性アルツハイマー病は確実に遺伝します。両親のうちどちらか一人が家族性アルツハイマー病の原因遺伝子を持っている場合、その子どもは2分の1の確率でアルツハイマー病になる。しかも若年で発症する場合が多い。一番早い例だと20代から、遅いケースでも30代、40代、50代で症状が出始める。


竹内 そんなにも早く発症するんですね……。


西道 孤発性に関しては明確な遺伝性は示されていないのですが、家系を見るとアルツハイマー病になる人が多い家系と少ない家系がやっぱりあるんですよね。今のところアルツハイマー病になりやすい危険因子は約30個(遺伝学が進歩した結果、最近新たに30個ほど報告された)分かっていますが、それを全部ある数式に組み入れると、孤発性のアルツハイマー病も大体何歳ぐらいで発症するか予測できる、という報告があります。


竹内 自分の遺伝子を調べることで予想がつくと。


西道 はい。これはイギリスの研究グループの報告なのですが、やっぱりイギリス人と日本人では遺伝子傾向に違いがありますから、そのまま日本人には当てはめられない。日本では、新潟大学の池内健先生が研究を進めています。はじめにもお話ししましたが、原因物質のアミロイドの蓄積って発症の20~25年前には始まるんですね。だから遺伝子で発症年齢が予測できるようになれば、例えば60歳で発症する計算の場合、40歳頃の発症前の脳に対して先制医療を施せれば20年後に発症しなくて済む。つまり長く生きてもアルツハイマー病にならない、ということが将来的には可能になると思います。


竹内 よかった。ちょっと明るい未来が見えてきました(笑)。今、西道さんがおっしゃったのは、前臨床性アルツハイマー病という状態ですよね。


西道 そうです。症状は出ていないけれども、脳にはすでにアミロイドが溜まっているという状態です。


竹内 前臨床性アルツハイマー病というのは、自覚症状がなくても検査をすれば分かるものなんでしょうか?


西道 はい。一つはアミロイドPET*1検査で分かります。あともう一つはこの2~3年で急速に研究が進んできた血液を調べる血液バイオマーカーです。2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一先生と、国立長寿医療研究センターの柳澤勝彦先生が研究開発*2を進めていて、これを用いると血液サンプルから、脳内の異常タンパク質の溜まり具合をある程度推定することができると言われています。


竹内 治療法というより予防法として、早い段階でアミロイドが溜まるのを監視してそうさせないようにする、ということですよね。


西道 そう。ニューロンが死に始めたら治すのは難しいので、症状が出る前の前臨床性アルツハイマー病の段階で、アミロイドの蓄積、あるいはタウの蓄積を止めることを目標としています。先ほどお話ししましたアデュカヌマブは、アミロイドβタンパク質に対する抗体です。末梢から投与した抗体が脳内に移行し、アミロイドβタンパク質を除去すると考えられています。ただし、脳内に移行する抗体は投与されたうち0.01~0.1%となるので、大量の抗体が必要です。そのため、年間の薬価が約600万円と高額になってしまいます。また、脳内の血管アミロイドに抗体が結合することで、出血や浮腫といった副作用が生じることも報告されています。私たちの研究も「アミロイドβタンパク質を除去する」という点で方向性は同じですが一つ大きく異なる点があります。


竹内 どんな違いなのでしょうか?


西道 2001年に私たちが発見したアミロイドを選択的に分解する酵素・ネプリライシンを利用するという点です。実験ではこのネプリライシンの遺伝子をマウスの脳に導入して遺伝子治療を試し、蓄積していたアミロイドを除去することに成功しています。この研究が順調に進み成功すれば、薬価は100分に1程度になり、副作用も少ないと期待されます。


竹内 安価で副作用が少ないということは、画期的かつ現実的な方法のように思えます。遺伝子治療って最近はよく耳にしますよね。


西道 でも遺伝子治療って心理的にまだ怖いじゃないですか。だから遺伝子治療以外で予防する方法も模索しています。具体的には「一日1回服用すればアミロイドβタンパク質の蓄積を止めることができる経口治療薬」の開発を目標にしています。これは多方面との共同開発が必要なので、もう少し時間を要します。


竹内 ビタミンサプリのように日常的に補給すれば予防ができるかもしれないなんて理想的ですね。遺伝子治療に関しては、もし本人が怖くない場合にはネプリライシンですか、これによる治療を受けることはできるんですか?


西道 できますよ。われわれも自治医科大学の村松慎一先生と共同研究を進めていますが、日本は臨床までにはクリアすべき点が多くあり、今すぐに治験を行うのは難しい。けれどもどうやら他国、例えばシンガポールは比較的緩いらしくて。そこで、例えば家族性のアルツハイマーの原因遺伝子を持っているアラブのお金持ちを対象に遺伝子治療をしようという計画があるようです。



*1 アミロイドPET: アミロイドに結合する放射性化合物ピッツバーグコンパウンドB等を用いたPositron Emission Tomography (陽電子放出断層撮影)


*2 アルツハイマー病バイオマーカー開発に関する参考文献







後編へつづく




Profile

  • 今夜の研究者

    西道隆臣(さいどう たかおみ)
    理化学研究所 脳神経科学研究センターにて神経老化制御研究チームを率いる。
    宮崎県出身。少年時代は大工工事の観察が趣味。高校時代にアメリカニューヨーク州に留学し1学年飛び級することに。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、薬学博士。
    趣味は読書とフードのついたパーカーのコレクション。

  • Barのマスター

    竹内 薫
    猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
    X(Twitter): @7takeuchi7


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編集協力

NATURE & SCIENCE