第五回 村山正宜 It Was Written in the Stars♪-脳の宇宙を捉えたい

第五回 村山正宜
It Was Written in the Stars♪-脳の宇宙を捉えたい 後編

サッカー少年から研究者へ


竹内 ずっとサッカーをされていたと聞きました。どういったレベルでやっていたんですか?


村山 小学校1年生の頃から真剣にサッカーをやっていて、高校もサッカー推薦で入りプロを目指して一生懸命努力していました。実際にプロになった仲間もいるんです。しかし上には上がいるという事実を目の当たりにした。壁にぶち当たったわけです。自分はサッカーでは世界で戦うことは無理だと悟って諦めました。ところがそこで、浅はかにも「勉学だったら世界で戦えるかもしれない」と思ったんですね。その時点で、高校の体育学系から理系に転向することを決意したんです。


竹内 転進する先としても身体能力を発揮できる分野とか、機動力が必要なビジネスとか経営とか、ほかにもいろいろとありそうですけども、いきなり理系にいっちゃったんですね?


村山 たしかにそういう方向も少し考えました。当時、織田裕二さんが主演する『お金がない!』というドラマがありまして、織田さん演じる貧乏な主人公が、幼い二人の弟のために営業でものすごく努力して成り上がっていくというストーリーでした。その影響で、例えば体育大学に進んでスポーツメーカーに就職して営業で上り詰めていく、という選択肢が頭に浮かんだこともありました。でも当時授業でやった生物がとにかく面白かった。普段、身の回りに実際に起きる現象に目が行きがちですが、体の内側では臓器一つひとつが正常に働き、緻密に相互作用することで生命が維持されている。複雑現象の連鎖が正常に繰り返されることで生命の恒常性が維持されていることに神秘を感じ、生きることはまさに奇跡だ! と感動してしまった。お金を稼ぐことよりも、純粋に人体の謎を解き明かし知的好奇心を満たすことの方に魅力を感じた。その頃父親が腎結石を患っていたこともあり生理学にすごく興味が湧いて、大学行ったら運動生理を勉強しようと思ったんです。


竹内 しかし、勉強する分野を変更するのはともかく、研究者を目指すとなるとかなり大きく振れているというか、なかなか険しい道を選択したわけですよね。


村山 なにかをやるんだったらとことん突き詰めたい、と思ったんです。性格的には一つのことに熱中してしまうタイプ。しかもやるなら頂点を極めたいという欲が出て、これはもう目指すのは研究者かなって。会社勤めでも、なにかしら突き詰めることはできるとは思うのですが、毎日スーツを着て電車に揺られて通勤するイメージがわかなかったし、組織の中で束縛されたり、上司からいろいろ言われたりするのも嫌で。『Dr. スランプアラレちゃん』の則巻博士みたいに自分の好きなことを突き詰めて暮らしていけたらいいよなと、そういう複合的な理由で研究者という道を選びました。


竹内 研究者は競争も激しく実力主義である傍ら自由なところがありますよね。村山さんはサッカーに打ち込んだからこそ次の道を選ぶことができた。子どもたちを見ていたりすると、スポーツでもなんでも、ある期間全力で打ち込んだという達成感って後々生きてきますよね。頑張ってやり切った、ギリギリのところまでチャレンジして生き残って帰ってきたぞ! みたいなたくましさというか、そういうのが心の成長にすごくつながっているなと感じるんですよね。


村山 本当にそうですね。今ではサッカーはダイエットを兼ねた趣味ですが、何かに一生懸命取り組んだ経験のある人というのは、そのあと20代、30代、40代と、もう全然違ってくるんじゃないかなと思います。やり切ったという経験は、人間的なあらゆる要素を収める器というのを広げてくれるんじゃないかな。


竹内 世間では頭がいいという基準として、いまだに学歴とかテストで高い点数を取れるということが引き合いに出されがちですが、実際は全然そうではない。理想を掲げてそこに向かって頑張れる力、壁にぶつかったり失敗したりしても反発して戻ってくる総合力みたいなものを若いころから積んできた人が活躍しているような気がしますよね。


村山 社会に出てやってみると、本当にそう思いますね。模試の点数が高いからといって良い研究者や社会人になれるわけではない。いろいろな角度から問題を見ようとする柔軟性、失敗してもあきらめない心、人から何を言われようと揺るがない自分の芯などなど、点数では測れない資質が山ほど必要で、それは学校の教室に座って先生の話を頭に入れているだけでは身につかない。勉強の範疇にとらわれず、若い時に色々な経験を積むことが大事だと思います。


“サイエンスの素人”だからこそできること


竹内 村山さんはご自身のことを「サイエンスの素人だ」っておっしゃっていると聞きしましたが。


村山 「素人」の意味にちょっと含みがあるんですけどね。玄人だ、エキスパートだと自負してしまうと見えなくなることがある気がして、自分への教訓を込めてそう言っています。多くの知識を得ることは重要だけれど、たくさんの情報に縛られて発想が玄人的になるよりは、目の前の研究結果に対してまっさらな状態であれこれ考えたい。例えば、ある論文で「AはBです」という報告があった場合、その結果を盲目的に信じてしまい、自分の実験結果の解釈も、その結果に縛られちゃう場合があります。実はこれって危うい考え方ですよね。あくまでその実験や解析条件で「AはB」になるだけで、条件が少しでも変われば、この関係は成立しないかもしれない。あくまでも一つの事実として先行結果は心に留めておくけれども、結果の解釈や謎解きに関しては、一度、自分の頭の中では報告された「一つの事実」としてカッコでくくっておいて、先入観なしで目の前にあるデータを虚心坦懐に受け取り、そして誰にでもわかるぐらいのできるだけシンプルな問いにまで落とし込むようにしています。


竹内 なるほど、「シンプルな問い」ですね。複雑なように見える現象や疑問、それらへの答えも実は突き詰めたりそぎ落としていくと非常にシンプルだったりしますよね。短い数式やワンセンテンスで表せちゃうような。


村山 僕が知りたい脳の機能は、非常にシンプルなクエスチョンから生まれているんです。その道のプロでなくても、ごく普通の人が考えるような疑問です。なぜわれわれは感じるのか、どうやって脳はそれを可能にしているのか。もし答えが分かったならば、誰もが「おお、そうだったのか!」と思うようなことです。たとえ研究対象が複雑な脳であっても、「なぜ?」はどこまでもかみ砕いてかみ砕いて、誰でもわかるような疑問にまで行きつきたい。


竹内 細分化された専門的なクエスチョンへの答えというのは、多分、必ずどこかにある。技術を駆使したり専門性を高めたりしていけば、答えを見つけられる可能性は比較的高い。ある意味、道筋は見えていて、突き詰めればいいだけかもしれない。だけれどより一般的で大きなクエスチョンへの答えっていうのは、探す場所も、必要な知識も、どこから取り掛かっていいのかも分からない。そうなると素人的な、バイアスフリーな視点というのが本当にとても大事なのかもしれないですね。


村山 僕はそう考えています。でも、いろいろなアプローチや考え方があるのがサイエンスなので、僕のやり方もあくまでもたくさんあるうちの一つの方法だと思います。


自分の期待を裏切り続けたい


竹内 村山さんは研究に必要な顕微鏡や機器を自ら作ってしまったり、発想やアプローチもバラエティに富んでいたりして、研究者という仕事を心底面白がっているという印象を受けます。


村山 バレましたね。そうなんですよ。常々、何か面白いことないかなって考えています。研究ではある実験結果が出たときに、その背後で何が生じているんだろうって解釈を考える、つまり仮説を何通りも立てます。僕の場合は、その中でも一番「ないだろうな」という仮説、自分が一番びっくりするであろう仮説からまずは実証しにいきます。過去の論文から推測して「きっとこうなるはず」というような推測しやすい仮説は、僕の中では一番つまらないんです。常識や既成概念が覆されたときってワクワクしますよね。脳のメカニズムというのは、われわれが考えている以上に複雑で、それはもうある意味、現時点での人知を超えていると思うんです。今の自分が思考できる枠をどうにか打ち破っていかないと、いつになっても解明できないのが脳。ついこの間も、出てきた実験結果から「もうこれしかないだろう」という仮説を考えたのですが、次に出てきた結果が、その仮説をひっくり返すようなものだったんです。ガーンと頭を殴られるような感じですよ。「ということは……これ、一体なんなんだ?」って、めちゃくちゃワクワクしました。そして深く考察を続けて「なるほど、脳はこうきたか!」と腑に落ちました。とにかく、いつも自分の期待をも裏切るような仮説を探し求める、というやり方をしています。


竹内 ある意味、研究の醍醐味ですよね。自分はもちろん、地球上の誰もまだ知らないことを見つけてくる。


村山 研究論文にはディスカッションというセクションがあって、「現時点ではこういうところが分かってない。そこを解明していかねば」などと、研究者の見通しとか、次のアイディアのとっかかりなんかが論じられることがあります。でもそれを読んで、まともに「そうか、じゃあそこを見つけてやろう」と研究を始めたのでは、その時点でもう数年出遅れているわけなんです。研究者としての究極的な醍醐味とは、誰かが提示したモデルを検証することよりも、自分で新しい現象を見つけてきて、それに対して自分で仮説を考え、自分でそれを検証することにあると思うんです。


竹内 しかしそういうスタイルのサイエンスって、少なくとも今の日本ではなかなかできていないですよね。とにかく研究をするための予算が必要だから、まずはとっかかりやすい研究プロジェクトをデザインしてみたり。そういう状態では人類の本当の叡智となるような研究や発見は生まれにくいように思いますよね。


村山 現代のサイエンスの大きなジレンマですよね。ただ僕の場合には、理研でラボを持つことができて、本当に幸運だったと感じています。スイスのベルン大学でのポスドク時代を経て、理研の脳神経科学センター(CBS)の前身である脳科学総合研究センター(BSI)でラボを主宰することが決まったときには、正直、「トラが野に放たれた!」と思いました。あっ、トラではなくハイエナでも良いな。


竹内 ん、トラ? ハイエナ……? その心は?

村山 トラは僕です(笑)。トラは恰好よすぎておこがましいかな、ということでハイエナかもしれないっていう(笑)。ハイエナは実はサバンナ最強といわれるほど狩りの名手らしいですけどね。いずれにせよ、理化学研究所には100年を超える歴史の中で先人たちが積み上げてきた自由で柔軟な文化があり、チャレンジを許してくれる環境がある。広大なサイエンスというフィールドで、どでかい獲物を狙ってきなさい、と背中を押してくれるような場所だと感じています。実際に当時のBSIセンター長であった利根川進先生からは「何をやってもいい。でも、ちゃんと大きな仕事をしなさい」という言葉を頂き、まだまだ駆け出しの研究者であった僕には、大きなモチベーションになりました。誰かが狩りをした仕事残りを狙っていくのか、それとも自分よりも何倍も大きいバッファローを追いかけ捕まえるのか……。もちろん「駄目だったら終わり」で、結果が伴わないと研究は続けられない厳しいサバイバルの場所でもありますが。


竹内 なんだかワクワクするお話ですね。当時、日本でそこまでの自由を与える環境は珍しかったんじゃないでしょうか。特に若い研究者には序列の中での役割もあるわけで。


村山 早々に日本を飛び出してアメリカで研究されてきた利根川先生のお考えとしては、日本ではかつて多く見られたいわゆるかばん持ちから始まって精神的にも体力的にも下り坂となった年齢でやっと教授職となる、というシステムではぜんぜんダメだと。もちろん教授の背を見て多くを学び、それを経てから研究室を率いるという方法もありますが、日本の科学が世界に伍していくには、アイディアも体力も野心もある30代前半の研究者に打ち込める環境を与えるべき、という哲学があった。私も30代でチャンスを与えてもらって、本当に幸せだと思います。その分、研究成果で返していきたい。そして今度は次の若い世代にチャンスを与えられるようになりたい。この「若手にチャンスを」というビジョンは、CBSになった今も引き継がれていると思います。


竹内 日本ってベンチャー企業が育ちにくいと常々感じますが、理由が似ているように思います。若いからこそ失敗を恐れずに挑戦していけるわけで、支える側もそこに賭けて投資していかないと、将来的に社会に新しい価値や雇用を生み出すビジネスには成長しない。未来への投資なしでは後塵を拝するばかりで、開拓してリードするということには一向にならない。ビジョンのある若い人に場所と資金を提供して、ある一定の期間の中で「思う存分やってみろ!」というのはとても良いシステムだと思います。


村山 そうですね。失敗を恐れないからこそ新しいものも生まれるし、仮に失敗したとしても、若ければ若いほどやり直しだってできる。ダメージも少ないし、次への糧にもできる。それに失敗からだって新しいものは生まれるんです。失敗して失敗して、なぜ失敗したかを理解して次に生かす。その前進はマイクロステップかもしれませんが、確実に前へは進んでいるんですから。僕もこの広大なサイエンスのフィールドでどこまでサバイバルできるか、放たれた野のなかで、触知覚のメカニズムをしっかり捕まえてやろうと思います。




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Profile

  • 今夜の研究者

    村山 正宜(むらやま まさのり)
    理化学研究所 脳神経科学研究センターにて触知覚生理学研究チームを率いる。
    宮城県出身、埼玉県育ち。サッカー推薦で高校に入学しプロ選手をめざすが自らのレベルを痛感し、新たな夢、研究者を志す。新聞配達員として予備校費を稼ぎ、一浪を経て東京薬科大学へ進学。同大学大学院生命科学研究科博士課程修了。スイス・ベルン大学生理学部で博士研究員。サッカーは現在でも趣味で継続中。
    X(Twitter): @mlab_cbs

  • Barのマスター

    竹内 薫
    猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
    X(Twitter): @7takeuchi7


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