1. 抽象的な概念を記憶する細胞群を特定

過去の体験の抽象記憶が、新たに似たような体験をする際に、その理解を援助する


2020年4月6日



© Image: MIT News



概略

新しいレストランで友人と食事をすることを想像してください。初めての環境で初めてのメニューを体験するわけですが、その際あなたの脳は、過去の似たような経験に照らし合わせて事を運びます。メニューを見て、前菜、主菜、そしてデザートまで注文しますが、それらはおそらく過去にも経験した手順です。


MITの神経科学研究チームは、こうした抽象的な「まとまった体験情報(chunk code)」を記憶する神経細胞群を特定しました。これらの抽象記憶は脳の海馬で保存され、似たような体験をするたびに活性化されますが、ある特定の場所の詳細な情報を記憶している細胞群とは別のものになります。


マウスを使った研究で発見されたこれらのchunk codeを記憶する細胞群は、脳が新しい状況を理解したり学習することを助けていると、研究者たちは考えています。


「私たちが何か新しいことに遭遇するとき、そこには未経験のまったく新しい情報というものも含まれているが、おそらくかなりの部分についてはすでに知っている。何故なら、新しい体験であっても、過去の経験とよく似ているからだ」と、利根川進教授(生物学、神経科学:MITピコワー記憶学習研究所理研-MIT神経回路遺伝学研究室)は言います。


利根川教授を最終著者、MIT大学院生Chen Sun を筆頭著者とするこの研究論文は、Nature Neuroscience 誌に掲載されました。


抽象概念の作成


脳内の海馬にある特定の細胞群が、「場所の記憶」に特化していることはよく知られています。これまでマウスを使った研究によって、海馬の「場所細胞群」は、マウスがある特定の場所にいるときに活性化すること、加えて、その場所を夢に見ているときでさえ活性化することがわかっています。


今回利根川教授のチームは、記憶の抽象的な要素についても、海馬が保存しているかどうかを調べました。つまり、特定のレストランに入ると活性化する、場所などの特定の記憶細胞のほかに、どのレストランでも活性化する、例えば「デザート」という抽象概念に対応する記憶細胞群があるのではないかということです。


この仮説を検証するために、研究チームはまず、マウスに正方形の迷路を周回させ、4周するごとに餌を与えて、マウス海馬のCA1領域にある細胞群の活性化を調べました。すると予想通り、マウスが迷路の特定の場所にくると活性化する「場所細胞群」が見つかりました。ところがそれに加えて、1周したときにのみ活性化する細胞群も見つかったのです。海馬にある細胞群の約30%が、この周回数に特異的な活性化に関与していました。


「この結果を見てはじめて、海馬の神経細胞は場所情報の記憶以外に、1周目、2周目、3周目、4周目という、抽象的なまとまり(chunk)をも記憶していることに気づいた」とSunは言います。




この仮説をさらに検証するために、研究チームは、1日目には正方形の迷路を使い、2日目には円形の迷路を使ってみました。いずれの場合も、4周目の終わりに餌が出るようにしておきました。こうすると、場所細胞群のほうは、迷路の形によってその活性化が大きく変化しましたが、chunkを記憶する細胞群は、1周目、2周目、3周目、4周目と、それぞれの周回時にのみ対応する細胞群が、正方形でも円形でも、迷路の形に関係なく同じように活性化されたのです。迷路を長方形に変えて、走る距離を長くしたり短くしたりしても、結果に影響はありませんでした。




「新しい迷路になっても、これらの細胞群は、周回数を記憶していた。つまり、正方形の迷路の周回数の記憶に使われた細胞群は、円形迷路の周回数記憶(chunk記憶)にも使われていることを示している」とSunは言います。


研究チームはさらに、オプトジェネティクス(光遺伝学)の手法を用いて、内側嗅内皮質(MEC)と呼ばれる領域からCA1領域への入力を遮断すると、周回数の記憶が起こらなくなることも発見しました。現在、どのような情報が、MEC領域から海馬のCA1領域にもたらされることで、抽象的な記憶のまとまり(chunk記憶)が形成されるのかを研究しています。


2つの異なる記憶コード


今回の発見から、あなたがディナーに行った際、どこで何を食べようと、似たような記憶細胞群が活性化していることが考えられます。「海馬は、それぞれ独立して操作することができる「2つの記憶手法」をもっていると考えられる」とSunは言います。1つ目は、刻々と変化する場所や時間や感覚情報を記憶するもの、2つ目は、過去に獲得した体験情報を「前菜」や「デザート」といった抽象的なまとまり(chunk)にして、記憶するものです。


「どちらのタイプの海馬記憶手法も必要だし重要だ」と利根川教授は言います。「ある特定の体験を詳細にわたって覚えておきたい場合は、逐次モニターしていく記憶が役に立つが、長い体験の場合は、chunkに小分けして、抽象的なchunkを自由に思い出せるようにしておく方が、膨大な継続的変化をすべて記憶しておくよりも、ずっと効果的だ」と。


この新しい発見は、「海馬の機能についての知識を、飛躍させることになる」と、ニューヨーク大学医学部のギョルギ・ブザキ教授(神経科学)は言います。


「利根川チームが行ったこれら一連の画期的発見は、海馬が、単に場所を示したり連続した事柄を記憶する役割を担っているだけでなく、ある体験をイベント(chunk)の集まりとして記憶していることを示す重要なものだ。そしてこの「イベントコード(まとまった抽象的な記憶)」は、場所や時間の記憶とはまったく独立して存在するもので、それも海馬が請け負っていることを発見した」と。


体験を抽象的なchunkとして記憶する細胞のネットワークは、すでに学習した知識を転用して新しい事柄を学習する、いわゆる「転移学習」にも有効だと、Sunと利根川教授は考えています。利根川研究室は現在、特定の抽象的な「知識」を記憶している細胞群の研究を目指しています。


本研究は、理研脳神経科学研究センター、ハワード・ヒューズ医学研究所、JPB財団によってサポートされました。


(MITニューズ・オフィス(アン・トラフトン)発表に基づく)


原文(英語):Neuroscientists find memory cells that help us interpret new situations | Picower Institute (mit.edu)