脳と時空間のつながり vol.3

場所細胞の役割

じつは、海馬の中で場所細胞が作られる法則や規則性については、よく分かっていません。それでもノーベル賞をもらってしまったところが、この発見のすごさを物語っているとも言えるでしょう。

今のところ分かっている場所細胞の性質について、少し解説してみましょう。

たとえば、ラットやマウスを新しいケージ(飼育や実験用の箱)に入れると、たった30秒ほどで場所細胞ができ始めます。「場所細胞ができる」といっても、新しくニューロンが作られるわけではありません。ラジオやTVのチャンネルを合わせるように、ニューロンの応答をチューニングするというイメージが近いでしょう。

ちなみに、こうした応答のチューニングのような、ニューロンの変化が維持されることを「可塑性」といいます。一般に、可塑性とは「与えられた変化が維持されること」です。たとえば、粘土の塊を指で押したときにできたくぼみが、時間を経ても維持されるようなイメージです。ニューロンの場合、ある信号の入力に対して出力する信号の大きさや強度(発火頻度)が変化したとき、その変化が時間を経ても維持されることを可塑性というのです。したがって、場所細胞の可塑性とは、新しく与えられた空間情報に対して、新しく応答するようになることです。

たった30秒ほどで作られ始める場所細胞ですが、新しくできる場所細胞の発火パターンは時間とともに変化するので、安定するまでに30分ほどの時間がかかります。ですので、初めにできた場所細胞は、すぐに消えることもあります。

パソコンにたとえるなら、簡単に上書き可能なメモリのようなものかもしれません。とすると安定化は、メモリ上の不安定な情報のうち、使えるものだけがハードディスクに記録されて残っていくというイメージでしょうか。

1個の場所細胞が担当する空間の広さは決まっているので、広い場所に置かれると場所細胞はたくさん作られますが、おもしろいことに、複数の部位にある場所細胞が、同じ空間をコード(符号化)していることも知られています。ただし、それらの場所細胞は、同じ空間をコードしていても担当する空間の広さが異なります。ある部位の場所細胞は30センチメートル四方ほどの空間をコードしており、別の部位では同じ空間を含む1メートル四方というように、海馬の部位によって、細胞の空間分解能は異なっているのです。もちろん、分解能が違う場所細胞同士では、同じ空間情報がオーバーラップしています。

こうした場所細胞の空間分解能の違いには、意味があるはずです。たとえば、広い空間に応答する場所細胞は、感情を司る扁桃体などと強く結びついているので、おそらく「空間の印象」などを表していると考えられます。ここは怖い、あそこは楽しいといった、特定の空間と感情の結びついた記憶です。一方で、分解能が高い場所細胞は、日常的な作業や行動に利用されていると考えられています。

頭の中にある地図のテンプレート

しかしながら、場所細胞の脳の中での空間配置は、地図のように規則的ではありません。海馬の構造は、どこを切っても同じ側面が現れる金太郎のように規則正しいのですが、コードされている情報は違うのです。ちなみに、大脳新皮質の感覚野でもっともよく研究されている一次視覚野には、網膜で受けた刺激が規則正しく投射され、網膜上の座標情報が保たれています。極端にいえば、網膜に映った画像情報は、そのまま脳に送られるといっても良いでしょう。しかし場所細胞の場合は、海馬における細胞の位置と対応する外部の空間情報の規則性が見つかっていません。つまり、網膜のように外からの情報をそのまま表現しているのではなく、複雑な情報処理を行っていることが予想できます。

これについて、場所細胞の発見でノーベル賞を取ったオキーフ博士が、おもしろい実験をしました(図7)。まず、実験用のケージとして、四角く壁で囲まれたケージと丸く囲まれたケージを準備します。ここに動物を入れると、ある場所細胞は丸い空間でだけ発火し、別の場所細胞は四角い空間でだけ発火します。空間の大きさはほぼ変わらないので、四角い空間と丸い空間における場所細胞が空間の中央で共有されても良いし、円周と重なる辺上で同じ配置になってもおかしくありません。

四角い部屋を徐々に丸くしていくと、どの場所細胞が発火する?
図7 四角い部屋を徐々に丸くしていくと、どの場所細胞が発火する?

しかし、囲う空間の形が変わると、発火する場所細胞もまったく別の細胞に変わるのです。これだけでもおもしろいのですが、実験はここで終わりません。じつは、この実験で用いた空間の壁は、細い短冊状の構造体でスノコ状に作られていて、連続的に囲う形を変えることができます。では、少しずつ丸い囲みを四角く変形していくと、場所細胞の反応はどうなるでしょうか?

じつは、丸い空間で特定の場所に反応していた場所細胞は、四角く変形していく途中で、ある瞬間に発火しなくなります。ところが次の瞬間、別の部位で四角い空間に反応する場所細胞が発火を始めるのです。この閾値(発火の始まる刺激の強さ)には個体差があり、はっきりと決まってはいません。動物が、自分の周囲を四角い空間と認識しているか、あるいは丸いと認識しているかによるのだろうと思われます。すなわちこの結果は、場所細胞は動物の「主観」を反映しているということです。

また、「テレポーテーション」と呼ばれる、似たような別の実験があります。実験用ケージのすべての内壁に液晶ディスプレイが貼りつけてあり、表示画面を一瞬で切り替えることで、まるで空間をテレポーテーションしたかのように感じさせるのです。

すると、表示画面が変わるや否や、やはり一瞬で海馬の発火パターンが変わりました。シータ波の1サイクル分で変わるくらいですから、およそ0.1秒以内です。どうやらマウスやラットは、そんな短い時間で、自分が元の場所にいないことを認識し、場所細胞を使い分けているようなのです。

おそらくマウスやラットは、空間が切り替わると、使うべき脳内の地図を瞬時に交換していると推測されています。その地図が、どこに、どのように格納されているかは不明です。海馬が最有力候補ですが、現在も研究が続いています。

また、まったく新しい環境に身を置かれたら、そこで一から新しい地図を作ろうとするはずですが、ニューロンの数に限りがある以上、作られる地図の数にも限界があります。この、広大な空間を有限の脳内地図で表現するという謎に答えるヒントが、利根川進博士の研究からもたらされました。

それによると、頭の中には地図の原型のようなものがあって、新しいところへ行くと、まず原型の地図をそのまま当てはめて空間を認識しようとしているのかもしれない、というのです。つまり、先ほどリプレイや予定を立てるように解釈できる場所細胞の性質を紹介しましたが、じつは実験開始前からそうした場所細胞は存在していて、まったく初めての空間に入るときも、それらがリプレイしたり予定を立てたりするようなのです。一種のテンプレートというのか、ひな形の地図を使い、現実の空間に当てはめているとイメージすれば良いでしょう。

どの地図をひな形にするのかは、おそらく個々の動物の主観によると思われます。先に紹介した四角と丸の空間で実験したときのように、すでに自分の知っている空間のうち、現実の空間に似ている地図を想起して、それに関する場所細胞が働いているのかもしれません。

そして、現実との違いを元に、想起した地図を書き換えて、新たな地図として現実の空間における移動に利用しているのでしょう。脳内では、いくつもの地図を使い回しているのかもしれませんね。ラットの空間認識システムは、知れば知るほど、本当にうまくできていると感じます。

人間にも場所細胞は存在するのでしょうか? これを確認するために、動物のような電極を人に付けることは倫理的に許されません。しかし、てんかんの患者さんに治療の目的で電極を刺したとき、患者さんの同意を得てニューロンの発火を記録させてもらうことはできます。ただしマウスやラットのように、迷路を歩きながら電極から記録するような実験は、技術上の問題から難しく、ビデオゲームで空間を探索してもらいます。そうした実験からは、擬似的な空間に対応するという形ですが、やはり場所細胞らしきニューロンが見つかっています。

空間記憶を操作する

動物に直接質問することはできなくても、ニューロンの活動をつぶさに見ると、回顧や予測のような心の動きがあると分かりますし、実験次第で動物の主観を問うことも可能だということが分かってもらえたと思います。さらに研究を進めると、どんなことが分かるでしょうか。

たとえば、先ほどお話ししたような場所細胞の圧縮表現が観察されるニューロンの活動を阻害すると、空間記憶の学習ができなくなることが知られていますが、逆に、もし場所細胞に予定を立てるような信号を与えることができれば、ラットはそのとおりのルートを歩くのでしょうか? 残念ながら、まだそこまではできていませんが、今後、そうした実験もしたいと考えています。

理研MIT神経回路遺伝学研究センター長の利根川進博士は、オプトジェネティクスの技術を使って、それに近いことをやっています。実験動物のエングラムセルを光刺激することによって、強制的に記憶を想起させ、ある種の行動を制御しているのです。ここでの実験は想起だけですが、場所細胞の実験では、想起の中に順序も含まれる必要がある分、難しくなると思います。

たとえば、もしそれぞれの場所をコードする場所細胞を別々に光刺激することができるとすると、実験者が場所細胞を適当に選んで順番に刺激すると動物に強制的にその経路を想起させることができるので、動物はそのとおりのルートを移動する、といった実験ができるかもしれません。もっとも、現時点ではまだ技術的にはこのような実験は難しいのですが、挑戦する価値は十分にあるでしょう。

著者:藤澤茂義 時空間認知神経生理学研究チーム チームリーダー

出典:講談社ブルーバックス



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